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 第12回ひの新選組まつり参戦!!


第1部 隊士コンテスト編

1.メモリアルイヤー

 すっかり春の恒例イベントとなったひの新選組まつり,日野市観光協会のホームページ上に隊士募集が出たのは2009年2月の半ばのことだった.さっそく申し込んだことはいうまでもない.この時に隊士コンテストについても参加に丸をした.
 隊士コンテストでどういうPRをするか例年頭を悩ますところであるが,実は今回に限って言えば早くから漠然とコンセプトはまとまっていた.キーワードはメモリアルイヤーである.
 2009年は土方歳三が函館で戦死してから140年の節目の年である.今年のまつりでもそれを意識して,過去11回のパレードで誕生した歴代のミスター土方を集めた部隊の結成や俳優が扮した土方歳三の登場,土方歳三の恋人コンテストなどの新趣向が予定されていた.

今年没後140年になる土方歳三
 
 例年以上に土方歳三色が強まるのは必須である(ちなみに昨年は井上源三郎没後140年であり,過去の井上源三郎を集めた部隊が編成された).
 しかしながら私は元来天邪鬼的なところがあり,常に周囲と違う方向に進んでしまう傾向がある.実は2009年は別な新選組幹部のメモリアルイヤーでもあるのだ.それは毎年のコンテストでも選出される鈴木三樹三郎の没後90年である.
 鈴木三樹三郎は新選組参謀伊東甲子太郎の実弟で,伊東とともに元治元年の秋に新撰組に入隊した.翌慶応元年の編成で九番隊隊長に就任しているが,慶応三年に伊東とともに御陵衛士となって新選組を離脱する.その後伊東が暗殺された油小路の戦いを生き延び,戊辰戦争時には薩摩藩の庇護のもと,相楽総三とともに赤報隊の幹部にもなっている.維新後,東京の両国橋でかつての同志だった新選組幹部永倉新八とすれ違った話は非常に有名である.明治後は警察官となっていたが,奇しくも土方歳三没後50年目に当たる大正8年(1919年)に亡くなっているのである.
 いわばもう一人のメモリアルイヤーというわけで,私の琴線をくすぐるには十分な素材である.そんなわけで今年のコンテストは鈴木三樹三郎狙いで行くことは早々に決まった.

追記: ちなみに私のメインブログの2009年4月2日の記事(ビザンチン皇帝の日常)に載せた「ショスタコービッチ作戦」というのは,2006年にモーツァルト生誕250年で盛り上がっている同じ年に,ショスタコービッチ生誕100年がひっそりと祝われていたことにちなんだものである(もちろん モーツァルト=土方歳三(偶然にも共に山本耕史だ 驚),ショスタコービッチ=鈴木三樹三郎であることはいうまでもない). 
 
 


2.新しい仲間

 ひのパレに参加する楽しみとして全国の新選組愛好家の方々との触れ合いがある.参加するごとに新たな出会いがある.2006年に初めて参加した際には,周囲に誰も知った人がおらず,なんとなくさびしい思いをした記憶があるが,ともにパレードをしているうちに何人かの方々と知り合うことができた.その後は回を重ねるごとにどんどん知り合いが増え,ますます参加する楽しみが増していった.
 2006年の初参加以来このお祭りの楽しさを発信しようと,当時開店休業状態だった自分のホームページを改訂し,レポートを作成するようになった.その後,自分のレポを見て参加を決意してくれた人たちがいたことは自分にとっても大きな励みになっていた.
 祭りが近付くにつれて,今年もまた何人かの人たちがサイトを訪れてくれた.そんな人々と実際に出会うことはお祭り参加の大きな楽しみなのである.
 


3.コンテストの準備

 そして2009年4月1日,日野市観光協会からパレード参加決定通知がとどいた.今年は衣装持込みでの参加希望者は全員参加できる旨の告示があったため心配はしていなかったが,こうして改めて通知を見ると,いよいよ祭りシーズン到来という気分がするのだった(ただ以前はハガキの文面がぱっと見振り込め詐欺みたいだったのが,そうではなくなっていた).もちろん速攻でお金を振り込んだのは言うまでもない.
 参加が正式に決まると次はコンテストの準備である.九番組長鈴木三樹三郎狙いで行くことは決定していたが,問題はその中身である.

新選組九番隊隊長鈴木三樹三郎
 
 これについては,今年のお祭りのイベントの一つとして土方歳三そっくり隊が登場するらしいというウワサにヒントを得た.土方歳三と同様に鈴木三樹三郎にも写真が遺されている.とはいっても幕末時代ではなく,彼の晩年のものである.白い口髭を生やした鼻筋の通った紋入り羽織の写真だ.この写真を実際に再現してPRしようというのが作戦である.
 頭とメイクについては専門家に任せた方がいいだろうとあちこちを探して,結局新宿にあるコスプレメイクもやるという美容室を予約した.ただ髭だけは準備してくれと言われたため,これは自前で用意した(白い口髭はだいぶ前にレインボーマンに登場するの悪の総帥,ミスターKに扮した際に使ったことがある).
 着物は持っているのを使い,紋付き羽織の方は龍馬紋の黒羽織に貼り紋をすればいい.ただ袴だけは今回新調することにした.これまではひのパレ仕様の縞袴と龍馬写真の時に使った灰色のものだけしか持っておらず,茶系の袴が欲しかったからである.
 
 


4.コンテスト枠削減の衝撃

 こうして着々と準備が進んでいた4月20日過ぎ,観光協会から一冊の封書が届いた.中は恒例のパレードやコンテストの実施案内である.読んでみると,今年からコンテストの会場が日野中央公園から高幡不動尊五重塔地下ホールに変わったこと,受付が土方歳三像前であること,説明会が12時40分からあることなどが書かれていた.さらに読み進めていくうちに気になる一文が目に飛び込んだ.
 
今年のコンテストでは、
   土方歳三、近藤勇、沖田総司、永倉新八、斎藤一、武田観柳斎、
   井上源三郎、藤堂平助を選出いたします。
 

 「えっ,他の幹部は?」,思わず絶句の私.その後他の部分を読んでみても,特にパレードの規模が縮小されるわけではなく,例年通りの一番隊から十番隊の編成らしい.ようするに従来どおり隊長は10人いるはずだが,今年はコンテストで選出されない隊長が存在するということらしかった.この件に関しては実行委員会に問い合わせた方がいたようで,どうやら団体参加の隊についてはその団体から隊長を出すということのようであった. 

観光協会から送られてきた案内書.今年のコンテスト〜の部分は後から紙が貼られています.
 
 まあ確かに特定の集団の中に一人隊長としてポツンと放り込まれてもやりずらい面があるのだろう.しかし,団体参加でありながら隊長を出すわけではない団体もあるらしく,大方の見方では地元の団体の場合は隊長が出せるといった感じらしかった(それ以上の詳細は不明).ただ上に掲げた文章が,案内の紙にシールのように貼られていたことから,このことは以前から決まっていたわけではなく,比較的最近慌しく決まったことのようであった.
 とはいえ,参加させていただく身としては決定に従うしかないのだが,さあ困った.今年の希望鈴木三樹三郎役がなくなってしまったからである.実行委員会の方では沖田総司
永倉新八斎藤一といった人気のある隊士を残すことで参加者に配慮したと思うのだが,結果としてマイナーな幹部が弾き飛ばされてしまった形になってしまったのである(武田観柳斎原田左之助よりメジャーかどうか議論の余地はあるが).
 かくしてコンテスト対策の練り直しを迫られることになった.
 
 
 


5.永倉新八

 この段階ですでに4月下旬,当初の予定通り鈴木三樹三郎狙いを押し通すことも考えた.しかし他の幹部ならともかく,新撰組と袂を分かち,敵対することになってしまった人物にこだわりすぎるのは日野のお祭りにはふさわしくないんじゃないかとも考え路線変更することにした.とはいえ,すでに袴も発注,老人メイク用に美容室も予約していたため,なるべくその線を維持した変更にしようと考えた.
 そこで浮上してきたのが新撰組二番組長の永倉新八である.永倉も幕末明治を生き抜いた数少ない新撰組主要幹部の一人だ.甲州勝沼の戦い後新選組を離れたとはいうものの,明治9年に今のJR板橋駅口に顕彰碑を建てるなど,新撰組の復権に果たした役割は大きい.

新選組二番隊隊長永倉新八の晩年の写真
 
 私も以前永倉の歩んだ道をたどるべく,松前や小樽,さらには樺戸まで行ったこともある(関連記事).この永倉,実は嬉しいことに鈴木三樹三郎同様,晩年の写真が遺されているのである.
 ということで,コンテストでは晩年の永倉新八を再現してPRすることに決定した.ただ三樹三郎の場合は口髭だけであるが,永倉の場合あの長〜い真っ白なあごひげがある.口髭サイズなら普通の黒い付け髭を白く着色するのは造作もないのだが,あごひげとなると話は別である.黒くて長い付けあごひげを白く染めるのは難しくて現実的ではない.そこで,どこかに白いあごひげがないかと探し回った.しかし適したのが見つからず,やむなくクレープヘヤーという羊毛を編んだものを使って自分で作ることにした.また小道具として杖を用意することにした(永倉の晩年の写真で,彼が杖を持って写っているため).
 こうして着々と準備をしているうちにゴールデンウィークも過ぎていった.昨年は雨だったが今年は天気予報も上々,夏日になりそうとの噂であった. 
 


6.コンテスト前夜

 そしていよいよひの新選組まつり前日,5月8日となった.明日は朝から美容室入りするため前泊の予定である.美容室が新宿ということでその近辺での宿泊も考えたが,今回は衣装の量が多く(コンテスト用の衣装とパレード用の衣装が異なるため)新宿に前泊すると,メイク・着付け後に大量の荷物を抱えて日野入りしなければならなくなる.それはきついので,今回は高幡のホテルに連泊して,大半の荷物を部屋に置いた状態で日野と新宿を往復することにした.
 この日は仕事が多く,前々から準備していたにもかかわらず職場を出たのは7時半ごろになった.一旦家に帰って荷物を用意,さあ出発だ.ちなみに今回ウチのKは所用があるため,9日の夜に合流する予定である.
 電車を3回乗り継いで高幡のホテルに着いたのは10時過ぎであった.チェックインを済ませて荷物を部屋に広げた.まずはあすの朝持っていく着物(黒紋羽織,黒長衣,帯,ニュー袴,足袋)を別包する.その後シャワーを浴びて,ビールを飲みながらやり始めたのが…


 
 ひげ造り(笑)  

 今回白いあごひげを作るために,クレープヘヤーという羊毛を編んだやつを用意した.これを手でもみほぐし,櫛ですくって取れた毛をまとめると髭ができあがるという寸法である.ホテルの薄暗い照明の中で,黙々とこの作業をやっている光景は,はたから見るとかなり怪しげなんだろうななどと考えていた.
  結局なんだかんだで寝たのは午前3時,神経が高ぶっているのかなかなか寝付けない.結局ちょっとウトウトしているうちに朝になってしまった.
 

これがクレープヘヤーです

こうして櫛で掬っていきます

まとめると髭になります
 


7.高幡不動尊へ

 明けて5月9日,いよいよ第12回ひの新選組まつり第1日目である.外を見ると天気は上々,まさにお祭り日和だ.
 朝8時過ぎにホテルを出て高幡不動駅へ.京王線に乗って一路新宿へ向かう.途中松屋で朝食を摂ってから予約していた美容室に入る.あらかじめ参考写真を送っておいたのでそれに合わせて作っていく.永倉新八晩年の写真はかなり髪が薄くなっていたので,坊主頭にされることを覚悟していたのだが,セットで何とかしようということになり,ちょっと切る程度で済んだ(額はかなり広くなったが 笑).メイクをしながら美容師の方と話をしていたのだが,今回の私のように自分の実年齢よりかなり高いメイクを希望する方は少ないんだそうである.また最近では女性に扮するイイ歳の男性も増えてきており,ぜひ一度どうぞなどとも言われた(想像したくないなぁ 笑).その後着付けをして完成である.鏡を見ると完璧な老人,なかなか良くできたと感心しながら美容室を出た.
 外に出るとかなり気温が上がってきておりじっとりと汗ばんでくるほどだ.都営新宿線と京王線を乗り継いで高幡不動に戻る.途中京王線の車内が空いているのをいいことに,シルバーシートにデーンと座っていた私だった.高幡不動駅を出ると目の前に見覚えのある人たちが… ひげの伍長ことたけるさんとそのお仲間だ.
 たけるさんはこちらを見るなり「あっ,皇帝陛下」,「ええ〜っ,何でわかるの」と驚く私.うーん,さすがはひげの伍長,ものすごい観察力だと改めて感心したのだった.
 その後いったんホテルに戻って小道具の杖と「永倉新八 外伝」というタイトルの本を持ってコンテスト会場となる高幡不動尊に向かった.
 


8.会場にて

 隊士コンテストは昨年までは市役所前にある日野中央公園で行われていたが,今年はメイン会場が高幡不動尊ということで,境内にある五重塔の地下ホールに変更となっていた.ここは昨年のパレード当日に出陣式やパフォーマンスコンテストが行われた場所で,本来はなかなか立ち入ることができない場所らしい.まずは土方歳三像前の受付に行く.名前を告げて番号札を受け取った.今年は33番である.受付を終えて周囲を見渡すとひのパレ常連の野島姓さんや昨年の十番隊長キッチン左之助さんらがいたので挨拶をした.彼らがキョトンとしていたのは言うまでもない(笑).

晩年の永倉新八に扮した私(写真提供 神楽教授)
 
 その後は控室に指定されていた境内の客殿の2階に入る.中には昨年のミスター土方のA氏や同じく昨年の三樹三郎(コンテストでマスターレプリカ製ライトセーバーを登場させて私を脱帽させた人),岡山から来た昨年の永倉新八の方などがいて,みな準備に余念がないようであった.私はというと,係員の人にお願いして,今に伝わる永倉新八晩年の写真と同じポーズで写真を撮ったりしていた(笑).そして12時40分になり係員に引率されて会場である五重塔地下ホールに入ったのである.
 会場内にはすでに多くの観客が集まっており,いやがうえにも気分が盛り上がる.今年のコンテストはエントリーナンバー36番まであり,番号順に6人ずつのグループに分けて座らせられた.私の右隣の32番は女性の方で,左の34番は自前のダンダラ衣装に身を包んだ若い男性であった.実は彼は例のひげの伍長たけるさんのお仲間(今年は22人という大集団)で,彼ら自身を率いる隊長となるべくコンテストに参加したとのことだった(22人といえばそのままひとつの隊を構成できる規模である).
 全員が着席するとコンテストの概要が説明される.これから選出されるのは副長土方歳三,局長近藤勇以下8人の隊士であること.持ち時間は一人1分で,オーバーすると強制的に終了となること(時間が来ると,弁論大会などで見かける,あのチーンという鉦を鳴らされる).PRの内容は自由だが,舞台を汚すことや場の雰囲気にそぐわないパフォーマンス(下品な内容や誹謗中傷,新選組と全く関係ない宣伝等を指すと思われる)はしてはならないことが告げられた.続いてコンテスト開始,かと思われたが,進行がスムーズすぎてまだ開始時間にならない.やむなくしばらく待つよう指示された(今回のひのパレは進行が非常にスムーズだった).
 のどが渇いたので水を飲んでいると,「皇帝様」と声をかけてきた人が,見ると背の高いすらっとした格好いい男性である.「副チョウです」,なんとこの方が最近サイトに来てくれるようになった副チョウ殿であった.関西出身で土方副長に憧れるこの男性は苦労して自前の装束を用意して参加してきたのである.その後席に戻ると今度は同じように自前衣装の男性がやってきた.「OZEです」と名乗ったその男性も最近サイトを訪問してくれた,会津新撰組同好会に所属する方であった.彼もまた土方歳三役を目指すべくこの日まで頑張ってきたのであった.
 そうこうしているうちに時間となり,さあいよいよコンテスト一次審査の開始である.
 


9.コンテスト1次審査

 まずは1組目が壇上に上がった.この組には昨年のミスター土方Aさんが入っている.昨年ステージ上で50人斬りをやった彼は,今年も見事な剣さばきで敵と戦っていた.続いて登場したエントリーナンバー3番の男性は銃剣術を披露し,匍匐前進も見せていた.第9回から見ているが,銃剣術を出してきた人は初めてのように思う(私の中ではかなりポイントの高いパフォーマンスだった).
 続く2組目には先述のOZEさんが登場,旗や扇も使って思いを語っていた.さらにこの組には
「左之助役が希望だったのに,なぜないんだぁ〜」と叫ぶ女性がいた.
 3組目には昨年の三樹三郎が登場,昨年同様赤いライトセーバーを駆使して,「世界に平和をもたらします」と会場を爆笑の渦に巻き込んでいた(歓声の大きさという点では今年のナンバー1だったと思う).
 次の4組目で目立ったのは,自前洋装土方の女性である.彼女は北海道の方でなんでも函館の五稜郭祭りのコンテストにも出たことがあるらしい.よく通る大きな声で思いを語っていた.またこの組にはがっちりとした格闘家風の男性がいて「四番組長松原忠司が希望でしたが,なくて残念です.来年はよろしくお願いします」と松原への思いを語っていた.実はこの方が副チョウ殿の相棒の松原チュウさんであった.
 5組目には例の副チョウさんが登場,土方歳三への思いを語っていた.さらにこの組には昨年私と同組だった美術専攻の女の子がいて,今年も素敵な絵を披露してくれた.また岡山から来た昨年の永倉新八役の男性もこの組で,昨年同様本格的な剣さばきを見せていた.

さあコンテストの始まりです(写真提供 日野宿本陣文書検討会様)


順番に思い思いのPRをしていきます(写真提供 日野宿本陣文書検討会様)


晩年の永倉新八でPRする私(写真提供 日野宿本陣文書検討会様)

 
 こうして各組のパフォーマンスが進んでゆき,いよいよ最終組である.この組は6人,31番,32番と二人の女性のPRが終わり,さあ33番ビザンチン皇帝の登場である.名前を告げ,本を示しながら永倉新八の晩年の姿を再現しましたと状況説明,次いで「近藤も土方も若くして死んでしまったが,自分は命永らえこうして文明の不思議を味わうことができた(と携帯電話を取り出す).あれからもう140年(ちょっとウケる)…」と,現代まで生きているという設定で,新選組への思いを語ったのだった(当初コントも交える予定だったのだが,時間がないのではと思い直前にカットしたら,結局時間が余ってしまった 泣).かくして私のPRはあっさり終了,昨年はネタでバカ受けだったが今年はやや受けという感じに終わってしまった.
 私の次34番は例のたけるさんのお仲間,手にあざまで作って練習した成果である剣さばきを見事に披露していた.35番は自前洋装土方の男性,大トリの36番はキッチン左之助さん,軽妙なトークで会場を沸かせていた.かくして一次審査は極めてスムーズに終了した(結局時間オーバーでチーンと鳴らされたのはほとんどおらず,極めて引き締まったコンテストだった).
 
 
 


10.審査の合間に

 さてパフォーマンスが終わると,結果発表までしばしの休憩時間となる.ステージ上では演武などが行われていた.私は一度水を飲んで外の空気を吸うべく(会場は熱気でムンムンしていた)席を立った.ふと見ると近くにはひのパレ常連の神楽教授とそのお友達が来ていた.今年の教授は特に扮装ではなく私服だった(洋服姿の教授はあまり見たことがなかったのでちょっと新鮮 笑).また会場にいた日野新選組同好会の方が私の方にやって来て「いやー,そっくりだよ」と言ってくれたのでとても嬉しかった.
 その後立ったままステージを眺めていたら,「皇帝さん」と呼ばわる女性の声が.見ると「
おりんです」と名乗る女の子が立っている.最近ブログに来てくれるようになった,今年市村鉄之助役で参加する女性である.事前に渋谷系だと聞いていたので,私の中では髪の毛が金色でしかもギザギザにとんがっている姿をイメージしていたのだが(どんなイメージだ 笑),見るといたって普通,しかも可愛い,安心すると同時にちょっぴりドキドキする皇帝であった.
 再び自分の席の方に戻って副チョウさんと話をしていると,先ほどのコンテストで目立っていた洋装土方の女性がやってくる.「あの,すみません一緒に写真撮っていただいてよろしいですか」とのこと.特に断る理由もないので写真を撮った.聞くと彼女は札幌の方で,永倉新八(明治以後は杉村義衛)のご子孫の方と知り合いで,その方に写真を見せたいからとのことだった.

 
 「え〜,こんな恰好して遊んでるのがご子孫に知られたら怒られるんじゃないか」

北海道から来た自前洋装土方の女性と記念写真,この後彼女が今年のミスター土方に選ばれました(写真提供 副チョウさん).
 
 
 とちょっとビビった皇帝だった.
 その後はひのパレ仲間の風雅さんやそうさんとの再会を果たした(そうさんはステージに上がっても私と気付かなかったらしい).ここでさっき左之助命のパフォーマンスをしていた方がそうさんの友人のへこみ隊長さんであることを知った.彼女からはコンテスト参加にあたって私のHPを参考にしたとのありがたいお言葉を頂戴した.
 
 そうこうしているうちに,いよいよ結果発表の時間である.司会のお姉さんの口から次々に合格者の番号が読み上げられる.自分の番号に近づいてきて,さあどうかと思っているうちにあっさり素通り,ビザンチン皇帝撃沈の瞬間である.
 結局一次審査合格者は例の洋装土方の女性,同じく洋装土方の男性,キッチン左之助さん,岡山の剣士のほか,先ほどお会いしたへこみ隊長さん,そして副チョウさんの相棒松原チュウさんらであった.
 
     


11.コンテスト2次審査

名前を呼ばれた合格者8名が壇上に上がり,引き続き二次審査に突入する.隊士コンテストの二次審査は例年通り女優さんとの掛け合いである.今年の場面は明治元年秋,仙台で榎本武揚とともに蝦夷地に渡ろうとする土方歳三と医師松本良順の掛け合いである.セリフはこうだ.
 
 松本良順  「蝦夷地へ行って国を作るなどとんでもないことだ。大体君たちはそのためのお金を持っているのか? 函館行きは必ず失敗に終わる。」
 土方歳三  「わかっています。蝦夷の地に渡るのは、幕府三百年の大儀に殉じて戦うためです。勝つためではありません。良順先生、先生は早く江戸に帰り世のために働いてください。私のような戦うしか能のない男は戦って死ぬしかありません。」

 松本良順  「馬鹿な… 君というやつは、本当に大馬鹿ものだ。」
 

 審査が始まる.各自アドリブも交えながら女優さんとやり取りをしていく.例年だとここで希望の役を言う時間があったと思うが,今年はなかった.
 ちなみにこの時私の脳裏に閃いていたセリフはこうだ

 
ビザンチン皇帝 「私のような扮装しか能のない人間は、扮装してPRするしかありません。」
松本良順 「馬鹿な… 君というやつは、本当に大馬鹿ものだ。」

 

かくして二次審査も無事に終了した.ここから発表までの間にステージでは初の試みとなる,土方歳三の恋人コンテストが行われた.
 


12.恋人コンテストと結果発表

 多摩時代の土方歳三の恋人としてお琴さんが知られており,例年新選組と出会った人々の中に編入されていたのだが,なんと今年はその恋人役もコンテストで決めることになっていたのだ.
 隊士コンテストの司会者は女性であったが,ここからは男性司会者に変わる.今回は第1回ということもあって,エントリーは5人と少なめだった.審査は自分の思いを語る第1部と,北に去る土方歳三との別れのシーンを演じる第2部から構成されていた(土方役は洋装の男性が担当).特に第2部の掛け合いは隊士コンテストのようにあらかじめセリフが決まっているわけではなく,歳三のセリフ以外はすべてアドリブとなっており難易度が高いものだった.

今年のコンテスト合格者の集合写真.中央の黄色い着物の女性が恋人コンテスト優勝者です(写真提供 日野宿本陣文書検討会様).
 
 実際にコンテストが始まったが,みんなすごいのなんの.「俺は北に行く」という歳三のセリフに対して,「行かないで」というのはお約束としても,餞別代わりに民謡を歌い始める人,「あたしを殺して」と迫る人,さらには「それならいっそ,あなたの子供が欲しい」と抱きつく人など,女性ならではの熱いパフォーマンスが繰り広げられたのだった.
 結局審査の結果,初代土方歳三の恋人にはステージで民謡を歌った女性が選ばれたのでした.
 その後は再び隊士コンテストの合格者がステージに上がり,結果発表となった.毎年書いているが,これは慶応元年七月(伊東甲子太郎とその仲間が入隊し,山南敬助が切腹した後)の編成表によるものである.

 
一番隊 沖田総司  昨年谷三十郎だった小柄な女性.
二番隊 永倉新八  侍の風格が漂う岡山の男性,去年も同じ役だった.
三番隊 斎藤 一  左之助役を希望していた方.ブログ仲間のそうさんのお友達.
五番隊 武田観柳斎  本来は松原志望だった松原チュウさん(副チョウさんの相棒).
六番隊 井上源三郎  去年もいたような気がする女性.
八番隊 藤堂平助  キッチン左之助さん.
 

 局長近藤勇には自前洋装土方の男性が,そして今年のミスター土方には北海道から来た自前洋装土方の女性が選ばれたのだった.

 
コンテスト終了後は合格者の方々の記念撮影,抜刀・納刀の練習と進むのだが,私は副チョウさんとともに日野宿本陣の向かいにある交流館に行った.ここは元々信用金庫だったところで,ブログ&扮装仲間のフミヲさんのお友達がいるところである.今回新選組まつりということで,コンテスト後扮装のまま駆けつけて界隈を盛り上げて欲しいというお話があったためである.ここでは参加者みんなでダンダラを羽織って歩いたりした.

新八爺さんと新選組装束の孫たち(写真提供 フミヲさん)
 
 その後私は参加している合唱団の練習があるため電車で杉並へ(もちろん永倉新八のまま 笑).練習参加後友人主催の前夜祭に繰り出したのだった.明日はいよいよパレード,予報は上々である.一昨年の灼熱パレードを思い出しつつ眠りに着いた.  

日野宿本陣前で(写真提供 風雅さん)

新八爺さんとベーゴマ(写真提供 フミヲさん)

京王線のシルバーシート
 



パレード編へ続く

 

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