私の世代はプラモデルに対して特別の思い入れがある.今ではプラモデルといえば一部のマニアのものといった印象があるが,私の少年時代には男の子みんなが夢中になるものであった.その一方プラモデルに熱中するということは,当時の学校や大人たちからは決して歓迎されるものでもなかった(もちろん頭ごなしに反対されたり,学校で禁止されたりすることもなかったが).それはプラモデルの素材が,城郭やスーパーカーといった平和的なものもあるにはあったが,その多くが軍艦や戦車,軍用機といった戦争アイテムであったからである.その当時,今とは比較にならないくらい勢力のあった日教組にとって,子供がこうした戦争アイテムに熱中することは決して面白いことではなかっただろう(何しろ習字の時間に「好きな言葉を書いてよい」といわれて「大和」と書いた生徒に,「それは戦艦大和だろう.戦争に関係する言葉を書くとは何事だ」と鉄拳を飛ばすような熱血平和(?)教師が大勢いた時代である).またプラモデル製作の必需品である接着剤が,当時の不良の間ではやっていたシンナー遊びにつながるのではと危惧されたことも一因であろう.もちろんプラモデルに夢中になった子供のほとんどはシンナー遊びとも戦争行為とも関係なく成長し,今では30後半から40歳代になって,この不況下のわが国を支えているのである.
それはともかく,私もプラモデルに熱中した少年の一人であった.私が製作していたのは小学校高学年から中学生頃で,10代前半の時期であった.主な製作物は日本の軍艦,特にウォーターラインシリーズと呼ばれる700分の1スケールのプラモデルであった.これに熱中した理由としては,種類が多いこと(戦艦や航空母艦から,巡洋艦・駆逐艦・潜水艦まで非常に多くのラインナップを揃えていた)に加え,フルモデルと違って喫水線で切ってあるため,押入れ等に並べてしまっておき易く,スペースをとらないという利点があったからであろう.製作したプラモデルは塗装を施して実家の自分の部屋の押入れに並べてしまっておいた.このまま趣味として続けていれば今頃私もマニアになって,もっと薀蓄を語れる位になっていただろうが,高校受験の頃からプラモデルに対する熱意は次第に失われ,高校に入ってからはクラブ活動等に熱中する普通の少年の道を歩んだ.そして高校卒業と同時に実家を離れたため,このプラモデル群(以下連合艦隊)の存在は忘却の彼方に行ってしまったのである.
高校卒業から12年後,現在の職業につき実家に戻ったのは平成8年であった.再び部屋を使うために押入れの掃除をしていたところ,あの懐かしい連合艦隊を発見したのである.10年以上にわたって放置されていた連合艦隊はすっかりほこりをかぶり,しかも何回かは地震にあったためかマストは折れ,砲塔や機銃も取れてしまったのが多く,全くひどい状態になっていた.このページでは10年以上私の家の押入れに眠っていた連合艦隊の艦艇を公開いたします.何分小中学生時に作った稚劣な作品であり,一般の鑑賞に堪えられるものではありませんが,私の少年時代の思い出として見てあげて下さい. |
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