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 新選組 in 台湾


1.台湾演奏旅行

 私も所属している合唱団,盛岡バッハカンタータフェラインが,2007年12月に急遽台湾に演奏旅行に行くことになった「関連記事(ブログ)」.台湾では初演となるJ.S.バッハのクリスマスオラトリオを地元のエバーグリーン交響楽団と共演するためである.
 実は2007年12月21日には飯森範親氏指揮の東京交響楽団と,地元盛岡でマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会が予定されており,台湾演奏旅行に参加する人たちは,復活のレセプション終了後すぐにバスで盛岡を出発,翌朝成田空港から旅立つことになっていた.私とKもバスに揺られながら成田に向かったのであった.成田と台湾の首都台北は飛行機で3時間程と近いのだが,実は今まで行ったことがなかった(近いと却って行かないという法則がある).どんなところなんだろうとワクワクしながら到着した.
 台湾は沖縄と大体同じ緯度にあり,気候区分としては亜熱帯に属する.したがってパラオやセイシェル(熱帯)のように常夏というわけではなく,冬が存在する.とはいっても岩手や北海道の冬とは全く違って,春や秋の感じだ.空港に降り立った私の感想も,湿気の多い5月かなという感じだった.
 空港から直接練習会場にバスで向かう.途中台北市内の町並みを通ったが,南国風の街路樹の通りは何となく高知市内を髣髴させた.街角にはセブンイレブンの他,ファミリーマート(全家と書くらしい)やモスバーガー,吉野家から,さらには洋服の青山といった日本の香りがする店が多く見られ,文化的には日本の影響を強く受けている街と思われた.

「復活」レセプション終了後バスで空港に向かいます(夜中の12時です)

成田空港の出発ロビーにて(3泊4日の旅行にしては妙にスーツケースが大きい,何が入っているのか 笑)

リハーサルの様子です(中央が指揮者のシュマルフス氏)
 
 練習会場に到着すると,主催者側が用意したサンドイッチをパクついてさっそく練習である.エバーグリーン交響楽団は2001年に結成された台湾初の民間オーケストラである.若い楽団員が多い印象だった.4人のソリストは全て台湾の方のようであった.指揮者はドイツ人のG. シュマルフス氏であるが,氏とは2年前のドイツ演奏旅行でもお世話になっている(新選組 IN ドイツ).合唱団員は皆長旅の直後でかなりへばっていたが,なんとか気合で練習に臨んでいた.私はといえば,隣に合唱指揮の佐々木正利先生が立っていたため緊張し通しだった(笑).   

台北市内で見かけた「洋服の青山」です

アジア的な熱気に包まれ
た台湾の夜市です

ファミリーマートは「全家」と書くようです
 


2.クリスマスオラトリオ本番

 一夜明けた12月23日,リハーサルは午後からというわけで,午前中は台湾最大の見所”故宮博物院”に繰り出した.ここには清朝の宮殿(紫禁城)に秘蔵されていた中国歴代王朝の秘宝が展示されている.収蔵品の数は約70万点近いといわれており,ルーブル美術館などと同様,まともに見学しようとしたら1週間はかかりそうな感じだ.今回は時間がないので,ガイドに案内されて駆け足で見学した.

「故宮博物院」にて
 
 その後市内のレストランで昼食を摂り,演奏会場である”懐恩堂”という市内の教会に向かった.ここはバプテスト教会で,会場となる礼拝堂はなんとなく体育館のような広々とした造りだった(座席も2階席まであった).2時過ぎからのリハーサルを経て,4時から演奏会本番,ほぼ満員の聴衆の中,台湾初演のクリスマスオラトリオ演奏会は無事に終了した(演奏会当日の記事はクリスマスオラトリオ本番(ブログ)参照).
 演奏会後は指揮者のシュマルフス氏も交えて,市内のレストランで打ち上げ夕食会が行われたのだった.
 


3.新選組イン台湾

 演奏会が終了し,参加者の半数は翌朝の便で帰国となった.しか〜し,私にはまだやることが残っている.それは…”新選組装束で街を歩くこと”,すなわち新選組 in 台湾である.2年前に新選組 in ドイツをやり,海外扮装イベントに取り付かれた私にとって,演奏会終了後の扮装イベントは外せない企画だったのである(笑 大げさな,といいつつ今年のマダガスカル旅行の際はジェダイの騎士 in 森の惑星をやっていたりする).  
 この日は他の残留組と共に,台北郊外にある九フン(人偏に分)という小さな街に繰り出した.ここはかつてゴールドラッシュに沸いた街で,金の採掘が終了した後は台湾を代表する観光地として賑わっている.斜面に形成された,坂と階段が多い街である.近年では映画「悲情城市」の舞台となり,また宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」に登場する街のモデルになったともいわれている.下から登って行くのは大変なので,我々はバスで上まで行って降りてくるという安易なコースをとった.
 九フンはその街としての最盛期が日本統治時代と重なっている.このため街の雰囲気は,大正から昭和初期の日本テイストが感じられ,なにやら遊郭を思わせる風情の建物もあった.和装が妙にマッチする街並みである.あいにくの雨模様で,傘が手放せない状態であったが新選組装束で練り歩いたのである.街では台湾人と思われる複数の人々から記念写真を頼まれた.新選組を知っているのか,変わった衣装だから気になったのか定かではなかったが,ポーズを決めて写真に納まった私でした(現地ガイドの方からは,「できれば刀も欲しいね」と言われたが,空港で引っかからない素材のものを準備できなかったため今回は諦めたのだった).
 今回初のアジア新選組を実現したことで,究極の目標である”新選組 in 巴里”にまた一歩近づいたような気がした(本当か?).

ここが九フンのメインストリートです

何となく遊郭を思わせる造りです

ワールド・コンドーム(保険套世界)って一体…
 

中華レストラン前

有名な豎崎路です

街の中央広場(?)
 
     


4.台湾ネタ写真

 慶応3年春,海外の情勢を探るため,副長土方の命で台湾に派遣された新選組隊士がいた.
 現地の土産物屋で,生まれて初めて銃を目にした隊士は,「これからは槍や刀の時代じゃない」ことに気付き,土方歳三へのお土産に購入した.
 とある遊郭に入っていく新選組隊士.
 なぜか台湾で偶然にも不逞浪士風情の男を発見,追跡してついにそのアジトを発見した!



 

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