ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

ホーム

海外旅行記録

国内旅行記録

非日常の世界

日常の世界

幕末・新選組の
小部屋

 ”100”の小部屋

 学問の小部屋

ビザンチン帝国
とは

アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

 新選組パレード当日


1.パレードの朝

 明けて5月14日の朝になった.窓の外を眺めると,辺りは曇ってはいるものの雨は降っていないようである.強雨の場合は朝6時半に決行か中止か決めるとのことであったが,この天気なら決行は間違いないものと思われた.まだ眠そうにしているKと別れて集合場所である高幡不動尊に向かう.途中コンビニで朝食用のおにぎりやお茶を仕入れた.高幡不動尊につくと既に受付が始まっており,入り口で井上源三郎と書かれた袖章とビニール河童(雨が降った際に使用するのと同時に,昼食時に座るためのシートになるらしい)をもらって中に入った.畳何十畳もある大広間には各幹部隊士の衣装が並んでいる.六番隊隊長井上源三郎と書かれた衣装はすぐに見つかった.まずは腹ごしらえと,おにぎりを頬張っていると「着付けしますか?」と係りの方がやってきた.さすがに手馴れていてあっという間に着付けは終わる.続いてメイクの順になるのだが,弘前大学時代に参加していたオペラを思い出してとてもワクワクした.実際のところこういう演劇的なイベントの準備の場合,必ずメイクが律速段階になる(もっとも手間がかかるのだから仕方ないが).特に女性が入ってくると大変であるため,さっさとやってもらうことにした.ドーランを塗って(茶系統の濃いやつ)カツラを付けて,最後に鉢金を装着してハイ一丁あがりとなった.窓から外を見ると一般隊士の人たちが三々五々集まってきているらしかった.まだ時間があったためちょっと外に出てみることにした.
 外に出てみると既に大勢の隊士がたむろしていた.こうして改めて見ると浅葱色のダンダラが大勢集まっている光景はなかなか壮観である.幕末の京都でもこんな連中がゾロゾロ歩いていたら,不逞浪士でなくても恐れて隠れてしまったに違いないと思った.その辺をぶらぶらしていると「あっ源さんだ!」と若い女の子の声.おお,人気があるじゃないか源さん,と感心して記念写真に納まったのであった.なぜ私が井上源三郎だと判ったのか,袖章を見たのか,資料館の館長に似ているからなのかは不明であった.
 

集合場所である高幡不動尊.五重塔が見える.

境内に隊士が集まってくる.なかなか壮観である.

受付の様子.すでに各隊の幟も用意されている.
 


2.出陣式

 そうこうしているうちに集合時間になった.まずは各隊ごとの顔合わせである.今日一日共に行進するのだからある程度馴染んでおかなくては.私の六番隊は特別編成チームで,劇団エル・プロダクツの方々が隊士を務めることになっている.エル・プロダクツは主に時代劇を取り上げて活動している女性ばかりの劇団で,新選組ものも数多くやっているらしかった.すなわち新選組のプロと言っても過言ではなく,太刀さばきなどもかなり上手そうだ.そんな中に私のようなド素人が混じったらかなり目立ってしまう(悪い意味で)のではとものすごく不安になってくる.「今日はよろしくお願いします.いやぁ,自分が一番弱そうだったりして」とつい弱音が口に出てしまった.それに対して「いえいえ,みんなで隊長を盛り立てますから」とありがたいお言葉をもらい,ちょっと安心した私であった.
 隊毎にまとまって大日堂前に移動する.ここが出陣式の会場らしい.お堂を背にして各隊毎に並び,まずは全員で記念撮影.写真係の人が「ハイそこの人ちょっと前」とかいろいろと指図をしている.ふと横の五番隊の方を見ると,あれっ武田観柳斎がいない.五番隊の隊士も「うちの隊長見えないんですよ」と不安そう.たしか着付けの部屋にはいたはず,さてはメイクに手間取っているのかと合点したが,「薩摩藩邸に行ったんじゃないか」などと噂をしていた(幸い写真撮影には間に合った).続いて近藤局長,土方副長の挨拶の後,全体で勝鬨を上げていよいよ出陣である.隊列を組んでそのまま境内を歩き五重塔の近くにある土方歳三の銅像の前で再び整列,ここでは読経やミスター土方による銅像への顕花などが行われた.そしてパレードの開始である.
 

六番隊の集合写真.隊士は劇団エル・プロダクツの皆さんです.

出陣式の集合写真.みんな引き締まった顔をしています.

土方歳三の銅像前で.左から市村鉄之助,土方副長,近藤局長.
 


3.隊士パレード(高幡地区)

 午前中は高幡地区のパレードである.パレードは新選組ゆかり隊(横須賀甲冑隊,流山隊,玉造隊,滝野川新選組隊,市谷柳町試衛館,新選組と出会った人々,会津藩など)が先導し本隊がそれに続く.本隊は騎乗した土方歳三とそれに続く市村鉄之助,近藤勇(副長が騎乗で局長が徒歩とは…….ひの新選組まつりの主役はなんと言っても土方歳三,そして一部井上源三郎であり,近藤勇は地味な存在なのであった),以下一番隊(沖田隊)から順に十番隊(原田隊)まで隊長を先頭に堂々と行進するのである.途中行進しながら抜刀−勝鬨−納刀のパフォーマンスをする(この納刀が難しい.さすがに我が六番隊はプロ集団で,隊長以外は皆スムーズにできていた).なるべく堂々と行進しようと胸を張って歩いていると沿道の見物客から「源さん,こっち向いて」,「源さん,頑張って」と盛んに声がかかる.

六番隊の先頭を悠々と進む私.

抜刀,勝鬨を上げる.
 
うーん,源さんってこんなに人気があるんだ,地元の人たちに愛されているんだと感動した(私の地元の岩手での宮沢賢治,石川啄木に相当するのであろう).そして,こんな大事な役を自分なんかがもらっていいのだろうかと何となく申し訳ない気分にもなったのであった.遠くの方ではなにやらドンパチの音が聞こえる.なにやらパフォーマンスが行われているらしかった.また他の隊の勝鬨も聞こえてきて気分が大いに高まった.
 高幡地区のパレードは1時間もしないうちに終了し,全隊無事に高幡不動尊に帰ってきた.ここでしばしの休憩である.いつの間にか現れたKがあちこち歩き回って写真を撮ってくれていたらしかった(彼女の写真のおかげでパレードの他の部分での様子がわかった次第である.たしかにパレード参加者は自分の周りしか見えないからなぁ).沿道では官軍対幕府軍の合戦パフォーマンスなどが行われ,かなり賑やかだったとのことであった.そして私たちは11時半ごろに昼食会場であるスポーツ公園に移動するためバスに乗り込んだ(バスは早い者勝ちにどんどん出発した.我が六番隊はさっさと乗り込んだため早い段階で出発できた).噂では午後はさらに沢山の距離を歩くらしい.果たしてどうなるのか,期待と不安が入り混じるのだった. 
 

新選組流山隊の方々その前に玉造隊,後方に滝野川新選組隊.

市谷柳町試衛館の方々が勝鬨を上げている.


新選組ゆかりの人たち.坂本龍馬や桂小五郎なども混じっています.
 

馬上から号令をかける土方歳三.最高にきまってます.


新政府軍と幕府軍の戦闘.ちゃっかり宣伝もしています.


撃たれて倒れる兵士.この後あごを強打しなかったか心配です.
 


4.山本耕史登場

 高幡不動尊を後にした我々はバスに揺られてスポーツ公園に連れて行かれた.スケジュール表によるとここで昼食をとって,パフォーマンスを見物することになっている(わが六番隊を勤めるエルプロもここでパフォーマンスをするらしかった).公園内の陸上競技場のフィールド内に各隊ごとに陣を張り昼食になった.まだ12時前でそれほどお腹が空いていたわけではなかったが,この先いつ食べられるか判らないので食べた.周りを見渡すと他の隊ではみんなで自己紹介などをやっている.六番隊は隊長以外はみな顔見知りであり,これから始まるパフォーマンスの準備に余念がないようであった.
 しばらくするとパフォーマンスが開始となる.はじめに実践女子大のチアリーダーによる演技,続いて同じく実践女子大薙刀部の演武が行われた(彼女らは今回のパレードに会津藩の娘子隊として参加していた).その後踊りやら何やらのパフォーマンスが続いた.私はトイレに行ったり,近くに陣取っていた二番隊の人たち(永倉新八の隊だ)に混じって談笑したりしていた.しばらくするとエルプロのマネージャーのような方がやって来て,「隊長,もうすぐ始まりますからこちらへ」と呼ばれる.ついていくと何やら殺陣が始まっていた.

昼食会場となったスポーツ公園にて各隊ごとに陣を張り昼食です.

幹部隊士の集合写真.みな熱い方々ばかりでした.永倉新八のみ不在,残念((+_+))
 
内容は二人の新選組隊士(土方歳三とあと一人は誰だったか忘れてしまった)が多数の浪士の襲撃を受けるも,それを撃退して勝利する展開だったと思う.時代劇に出てきそうな太刀さばきで,とても隊長の私の出る幕ではなさそうな感じであった.やっぱりこの人達はプロだと認識を新たにしたのだった.その後午前のパレードの際にも沿道で行われていた(らしい)官軍と幕府軍との戦闘が繰り広げられた.これは大砲が炸裂し,硝煙が立ち込める本格的なパフォーマンスであった.
 さて,一連のパフォーマンスも終了し一息ついていると,何やら会場入り口の方が騒がしくなっている.見ると歓声と共に現れた八頭身の男性,「おお,山本耕史だ!」と私が叫ぶ間もなく会場にいたみんなが走っていく.会場では「危険ですから近づかないで下さい」とのアナウンスが流れているが聞く奴がいるはずもない,たちまち山本耕史は約400人の新選組隊士に囲まれてしまったのであった(この時彼の警護にさっきの官軍兵士も混じっていたのは歴史の皮肉であろうか).壇上に上がった山本氏は挨拶の言葉を述べ,さらに正月に放送された「新選組!土方歳三最後の1日」撮影にかけた思いなどを熱く語ってくれた(モーツァルトの話を始めたらどうしようなどと,ちょっとドキドキした).
 山本氏が去り,しばし余韻に浸っていると,また私を呼ぶ声が,聞くと我が六番隊はすでに出立の用意ができているとのこと,これからしばらく本隊とは別れての行進になるのであった. 
 

我が六番隊の勇者エルプロの殺陣.新選組と浪士の戦い.隊長よりよっぽど強そうです.


壇上の山本氏.本当に頭が小さくて八頭身ですね(お腹にも余分な肉はなさそうだし 笑).

壇上の山本氏を警護するのはさっきまで激闘を繰り広げていた幕府軍と官軍でした.

 


5.源さんの墓参へ

 スポーツ公園内にまだ山本耕史出現の余韻が漂っている中,我が六番隊は本隊から離れて別行動をとることになる.ルートはまず井上源三郎資料館を訪問,つづいて宝泉寺を訪ねて井上源三郎の墓前にお参りし,そこから八坂神社に行って本隊に合流するのである.
 細い並木道のようなところを進んで公園を後にする.六番隊のみの行進は非常にこじんまりとしていて(六番隊は特別編成のため,隊士の人数も他の部隊よりも少ない),さっきまでの大軍団とはかなり趣が異なってなんとなくほのぼのとしている.我々の後から観光客らしき方々(Kも混じっていた)もちらほらとついて来ていた.
 土地勘のない私にはどこをどう歩いたのか全くわからなかったが,辺りは段々住宅地の様相を呈してきた.しばらく歩くと前方になにやら巨大な蔵のようなものが,あれが目指す井上源三郎資料館らしかった.

井上源三郎資料館は土蔵を改装して作られています.

資料館の入り口
 
 井上源三郎資料館は井上源三郎の兄松五郎の生家の土蔵を改装して作られており,松五郎氏の日記など当時の貴重な資料が展示されている.我々は資料館前で抜刀した後中に入った.この時残念ながら館長は不在であったが,資料館の方からお茶をいただいたり,観光客の方と記念写真に納まったりちょっとしたひと時を過ごした.最後に井上源三郎の墓前に捧げる花を受け取り資料館を後にした.
 その後さらに,どこをどう通ったかわからないコースを歩いて目的地の宝泉寺(井上源三郎の菩提寺)に到着した.さすがにお寺の門前で抜刀すると罰が当たりそうなので,ここでは簡単な挨拶だけをして境内に入った.案内の方の先導で中に進み,途中源三郎の顕彰碑を横目で見ながら目指す井上家の墓所に到着した.源三郎のお墓は墓所の端にあった.我々六番隊一同は墓前に花を捧げ,さらに線香をたいて源さんの霊を慰めたのだった(かなり厳粛な気分になり,いつもはニヤけている私の顔も引きつっていたらしかった).厳かな気分で宝泉寺を後にしたが,考えてみれば本日の隊士パレードでこの体験ができるのは我が六番隊のみであり,改めてこのような大事な役をいただけた事に感謝する次第であった.
 宝泉寺からさらに行進し,本隊の待つ八坂神社に無事到着した.
 

井上源三郎資料館の前で勝鬨を上げる.

源さんの菩提寺である宝泉寺にて.

宝泉寺境内にある源さんの顕彰碑
 


6.池田屋事件発生?

 八坂神社に到着すると既に他の隊は休んでいるところであった.我が六番隊は五番隊と七番隊の間に滑り込む.ここでは主催者側からお茶や水が支給される.朝の段階では曇って肌寒かった天気も,日中になると薄日が差してきて気温も上がりかなり堪えるようになってきている.私は支給された水を一気飲みした.ここから今度はJR日野駅方面に繰り出して,メイン会場である日野市役所前に向かうのであった.再び隊列を組んで出発となる.時刻は午後2時ごろで一番暑い時間帯だ.幸い薄日がさす程度の天気だったためそれ程気温も上がらなかったが,もしも快晴だった日には熱中症で倒れる人が出るんじゃないかと思った.この頃になると沿道の観客もだいぶ増えてあちこちに人垣ができている.我が六番隊が行進すると「源さ〜ん」と盛んに声がかかり,いや応なく気分も高まるのだった.
 JR日野駅を過ぎてしばらくなだらかな上り坂を行くと,見覚えのある実践女子大に到着する.ここでまたしばらく待つことになるようだった.私は袖の下に隠したペットボトルのお茶(羽織の袖は意外と容積が多く,私はペットボトルの他,財布やらデジカメやらを入れていた)を飲んでいた.ふと見るとそばには坂本龍馬の袖章を付けた黒い和服の女性が立っている.私は「いやー,坂本龍馬ですか」などとその方と世間話をして過ごした(後になってわかったのだが,この人は神楽教授といってその筋では有名な方らしい.サインをもらっておくんだったと後悔している私であった).
 坂本龍馬と世間話をしていると,例のエルプロのマネージャーのような方が息を切らせてやってきた.「すぐに行けばできるから,急いで」と焦ったようにしゃべっている.「さあ,隊長もこっちへ」と急かされるままに走り出す.なんだなんだと思う間もなく六番隊一同それに続く.まるで池田屋に急ぐ土方隊の気分で実践女子大から市役所の中を突っ切って,息を切らせながらメイン会場に突き抜けた.どうやらエルプロの殺陣のパフォーマンスが急遽行われるらしかった(当初は八坂神社でやるはずが,何らかの手違いでできなくなっていたらしい).それならと沿道でのパフォーマンスを見守ることにする.内容はスポーツ公園でのものと同じらしかったが,今回は細長い道路が会場のため,横の展開がスムースにできるかなどと余計な心配をしていたが,さすがプロ集団,きちんとまとめていたのであった.
 さて,パフォーマンスは無事に終わったが隊士パレードはまだ進行中である.しかもメイン会場前で山本耕史の出迎えをうけるという最高のクライマックスシーンである.我々はこっそりと行進してくるパレードに近づき,すばやく五番隊と七番隊の間に滑り込み,何事もなかったようにメイン会場前の道路を凱旋行進し,凱旋の勝鬨を上げた(気分が舞い上がっていた私は山本耕史の姿が全く目に入らなかったが).
 無事にパレードは終了し,今日一日苦楽を共にしてきた六番隊の面々と記念写真を撮って別れを告げたのだった. 
 
メイン会場に凱旋する我が六番隊の勇姿. メイン会場前で出迎える山本氏.左端にはミスター土方も. 六番隊を盛り上げていただいたエルプロの皆さんと.
 


7.ライブと祭りの終焉

 六番隊解散後,山本耕史のライブまで若干時間があったため私はメイン会場前の模擬店でビールを買って飲んでいた(パレードで充実した後のビールは実にうまい).いい気分に浸っていると,観光客や他の隊士の方々から記念写真のお誘いが.「ハイハーイ」と軽快に写真に納まるの私だった.時間になったためライブが行われる市民会館に移動する.新選組まつりとライブというのも妙な取り合わせだが,昨年はトークショーだったというから前年と同じものはやりたくないという山本耕史氏の考えなのであろう.
 定刻から少し遅れてライブは開始.Koji Yamamoto & K.D earthが登場する.クラシックのコンサート以外行ったことのないKはやや戸惑っている(私は20年前に佐野元春のコンサートに行ったことがある).しかし観客総立ちになってたわけではなかったのでKもショックは少なかったに違いない.最初の曲が終わり「最後の曲です.ウソです」とボケをかます山本氏であった.その後1時間ほどのライブはあっという間に終わった.
 ライブ終了後は高幡不動尊に戻って着替えをすることになる.バスが出るとのことであったが我々はタクシーで先に行くことにした.18時56分東京駅発のはやてに乗らなければならないからである.これは私が住む久慈市に一番近い新幹線の駅である二戸駅(近いといっても車で1時間かかる)に停まる最終の新幹線である.これに遅れるともう今日中に家に帰ることはできない.
 高幡不動尊に戻った私は急いで着替えをすませ,お世話になった実行委員会の方々に挨拶をして駅に向かった.京王線とJRを乗り継いで何とか予定の新幹線に間に合った.列車に乗り込むと一気に疲れが出てきた.考えてみれば恐ろしく充実した2日間であった.昨日の朝新宿のカプセルホテルから学会場に行ったことがはるか昔のことのように思われる.それにしても思いがけずも井上源三郎という重要な役を与えて下さった実行委員会の皆さん,頼りない隊長を支えてくださったエルプロの皆さん,そしてこの祭りに参加したすべての方々に深い感謝の念を抱きつつ私はまどろみの中に落ちていった.
  
〜 完 (明日からまた日常の世界) 〜
  
    

ミスター土方とのツーショット.うーん,格好いいですね.


沖田総司はとても綺麗な方でした.顔がほころびっぱなしの私です.

原田左之助,武田観柳斎との記念撮影.お幸せに.

  

謝辞: このページの写真についてはパレード中あちこちを走り回って写真撮影をやってくれたKの功績が大です.この場を借りて御礼申し上げます. 
 


コンテスト編に戻る

 

トップページに戻る   幕末トップに戻る