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第35回しばれフェスティバル参加記録〜当日編〜


7.イベント広場に到着

 装備を完了するといよいよしばれフェスティバルの会場となるイベント広場に移動する.広場はすでにたくさんの人や車で賑わっていた.まずは耐寒テスト参加者荷物下ろし用臨時駐車場(長い名前 笑)へ.耐寒テスト参加者(以下チャレンジャー)はマットやシュラフなどたくさんの荷物を持参するハズなので,まずはここで先に荷物を降ろし,その後チャレンジャー専用駐車場に車を移すという趣向である.我々も各種アイテムを降ろし,そばに設置されていた巨大なテントの一角を拝借して置かせてもらった.

しばれフェスティバル会場案内図
 

 続いては会場にある唯一の建物であるイベントセンター内の受付へ.ここで名前を告げてゼッケン等を受け取るとともに明日渡される認定バッジにプリントするための写真撮影を行った.ちなみにゼッケンナンバーは私が40番,Kが41番である.
 受付の後は専用駐車場への車を移動である(会場からちょっと登ったところにあって,結構疲れる.たしかに先に荷物を降ろしておかないとキツイと実感).

完全装備です
 
車の移動後今度は自分の荷物をバルーンマンションに移動させる作業に取り掛かる.このバルーンマンションがしばれフェスティバルの名物物件で,お祭りの1か月前から実行委員会の方々が苦心して建てた傑作品だ.これは当地の寒さがあればこそ成立するもので,極寒の夜に巨大な風船を空気で膨らませ,それにひたすら水をかける.すると風船に着いた水が次々に凍って氷のドームが出来上がる.最後に最初の風船を抜いて完成というものです.この日までに100基のバルーンマンションが建てられていた.ここが参加者の宿泊所となるのである.
 我々に割り当てられたバルーンマンションは32番,大人がようやく入れるくらいの狭い入り口から中に入ると内部には段ボールが敷かれている.ただこれだけだと地面からの底冷えが厳しいので持参したウレタンマットを敷く.ちなみに内部の広さは大人4人がギリギリ寝られる程度である.案内によると定員は一応3人で,グループの場合は4人もアリのようだ.さらに1〜2人での参加の場合相部屋をお願いすることもあると言われていたが,結局この日我々のマンションは貸し切りだった.各種アイテムをバルーンマンション内に収納すると,いよいよ活動開始である.  
 

バルーンマンション群

小さな入り口

バルーンの内部
 


8.しばれフェスティバルの会場

 まずは会場を一回り(会場図参照),中央には城郭の石垣のように積み上げた薪の山が設置されている.これが命の火と呼ばれる巨大ファイヤーストームで,このお祭りのシンボルであるとともに,真夜中にチャレンジャーの体を温めてくれる暖炉となる.その北側にはお祭り中各種イベントが行われる特設ステージが設けられていた.ステージ脇にはデジタル式に時刻と温度を表示する電光板が設置されている.ちなみに午後4時35分段階での気温はマイナス5℃,関東であれば非常に寒い部類になるが,防寒装備バッチリの陸別ではたいしたことはない(実際にそう感じた).命の火とステージの間には雪を固めて造った階段状の特設スタンド(しばれスタンド)がある.ちょっと登ってみたが,一番上に立つとステージがよく見えた(劇場の2階席最前列といった感じか).その周辺には各種食べ物や飲み物を売っている露店やジャンボ滑り台,ジャンボパチンコといった遊び場,雪像,そして極寒の中露天ぶろを楽しもうというしばれ湯の小屋が設置されていた(このしばれ湯も非常に興味があったのだが,予約制で良いタイミングで取れるのか分からなかったのと,初参加で風邪をひくなどのリスクも考え今回は断念した).ちなみに会場内のトイレはというと,イベントセンター内にあるほか,外にも4〜5基の仮設トイレが設置されていた.
 会場の散策を終えて一旦バルーンマンションの方に戻る.バルーンマンションは100%氷のドームなので,内部での火の使用は厳禁になっている.ただマンション 群の中央に広場があり,そこでバーベキューなどを楽しむことは許されていて,すでに大勢の人が持ち込んだ機材で宴会を始めていた(笑).我々もとりあえずバーベキューコンロを組み立て簡易椅子,炭箱や食材の入った保冷バッグを置いて場所を確保した(実際に火を使うのはもっと後の時間).ちなみにこうして早々と宴会を始めているのは地元参加の常連さんが多いらしい.

メインステージ


命の火の薪


しめ縄もあります

陸別のマスコット,しばれ君とつららちゃんの雪像
 

しばれ湯

屋台です

ジャンボ滑り台
 


9.第35回しばれフェスティバル開幕!

 そうこうしているうちにフェスティバル開始時刻である午後6時が近づいてきた.我々はさっきチェックしたしばれスタンドの最上段に登って開始を待った.まずは5時55分ごろにプレイベントとして,お祭りのスポンサーにもなっているパナソニックの寒冷地エアコン物語を上映,これはマイナス25℃という真冬の陸別でもエアコンのみで暖が取れる強力なエアコン暖房を作ろうというプロジェクトが完成するまでの軌跡を描いたものだった.一般にエアコンは外気が氷点下になると暖房としての機能は著しく低下するというのが一般的な認識なのだが,このエアコンはそんな常識を覆した優れものらしかった.
 そしていよいよ午後6時,第35回しばれフェスティ バルの開幕である.ステージ上で司会の女性が高らかに開会を宣言,続いて実行委員長さんを始め町長やら国会議員やら道議会議員など10人以上の来賓の登場となる.

来賓による餅つき(外気はマイナス10℃)

オープニングセレモニー
 
みなさん登場と同時にステージ上に用意された臼で3回餅をついて並ぶという趣向になっていた(ここでパフォーマンスをする人も).そして来賓のあいさつへ.実行委員長や町長はともかく,その後も順々に挨拶が続いていく.

「ま,まさか全員が挨拶するんじゃ ( ゚Д゚)」


と猛烈な不安が頭をよぎったが(笑),さすがに全員ではなかった.ちなみにこのセレモニー時の気温がマイナス10〜11℃であった.
 そんなあいさつの後,引き続き命の火の点火式になる.後方から陸別町のマスコットしばれ君が松明をもって登場,その火を受け取った来賓の方々が薪に点火,一気に巨大な炎が上がる.いよいよ祭が始まったなと気持ちが大いに昂る瞬間であった.

 

まもなく点火

命の火が燃え上がる

フルーティーのライブ
 
 点火式の後は地元の小学生による太鼓やよさこい,札幌を拠点に活動しているローカルアイドル”フルーティー”のライブと続いていく.ステージ前中央にはファンと思 しき一団が盛り上がっている.フルーティーの娘たち,さすがに上半身はダウンジャケットだったが,下半身はほぼ生足の子も… 大丈夫か!と余計な心配をしてしまったのだった.一方で自分はというと,提供企業による久保田のお酒が無料で振る舞われるブースに行ったり,露店で豚汁や熱燗を買って飲み食いしていた(キンキンに冷えた久保田の萬壽が美味しかった).

久保田のお酒が振舞われています
 

会場入り口

カラフルなドームが

露店で飲み食い
 


10.お笑いショーとしばれ花火

 フルーティーのライブが終わると,続いてはよしもとお笑いショーの時間となる.この日は特に裸芸で有名なとにかく明るい安村さんがやって来るとのことで,この頃から会場の人出が一気に増えた感じだ.ステージ前はもちろん例のしばれスタンドもびっしりで,途中飲み食いで抜け出していた自分たちはかなり後方,命の火のそばから見ることになった.
 この時間帯の命の火は石垣のように積み上げられた薪全体が燃え上がっていて,ワーグナーの神々の黄昏の終幕,燃え上がるヴァルハラ城という感じである(大阪城落城でも吉原炎上でもいいのだが 笑).ゴールデンルーズさん,シューリンガンさんのコントが終わって,いよいよ安村さんの登場,ステージの温度計は氷点下13℃,さあ! 
 

とにかく明るい安村さんの芸
 
 

ホントに裸で出てきた… プ,プロだ ( ゚Д゚)


 いつものパンツ一丁スタイルで登場(もっとも足はスノーブーツを履いていた.そりゃそうだ,こんな環境で裸足で10分も歩き回ったら凍傷率100%だ),さすがに寒さのためか最初はろれつが回っていない感じだった.それでも何事もないかのようにいつもの芸を披露して会場は大いに湧かせたのはさすがはプロ!という感じだっラ(たしかにいろんな意味で盛り上がったステージだった).ちなみに彼はこの前後に札幌と旭川でも出演があったらしいのだが,この日の陸別が最寒だったろうことは間違いない.

 
 お笑いショーの終了後,午後8時30分からクライマックスの花火大会,通称しばれ花火が開始となる.冬の陸別は晴天が多く,空気も澄んでいる(なのでここには天文台があるし,一方で放射冷却が起こるためムチャクチャ寒くなる).そんな澄んだ夜空に上がる2000発もの花火,一般には夏の風物詩というイメージがある花火だが,やっぱりここでは冬が似合うなと感じたのだった.  
 しばれ花火をもってこの日の一般者向けのイベントは終了,多くの人たちは続々と帰宅し始める.ただ,元々道路事情が良い地域ではないこともあって,この時間帯町外に向かって10キロもの大渋滞が発生していたらしい(この日は雪もなく,しかもこの辺りは信号もあまりないのにそんな渋滞が発生するとは… と不思議な気分になった).  

ヴァルハラ城の炎上状態

しばれ花火@

しばれ花火A
 


11.人間耐寒テストの始まり

 一般の来場者が帰っていくのと同時に,ここからはしばれフェスティバルの神髄,人間耐寒テストの開幕となる.21時にチャレンジャー一同ステージ前に集合,ここでこれからの注意事項の伝達がある.それによると22時にイベントセンター(夕方に受付をした建物)で確認シールをもらうことが強調されていた.これは過去に夕方受付だけ済ませて町に行って温かいところで一晩過ごし,翌朝会場に顔を出してちゃっかり認定証だけ貰おうという不届きモノ(笑)がいたことへの対策なのだそうだ(ずるいヤツはどこにでもいるんだなと感心した).さらには23時からチャレンジャー専用企画としてタオル早回し選手権(濡れタオルを振り回していかに早く凍らせるか競うイベント)とカラオケ大会があること,明日の朝7時にここでラジオ体操をしてその後認定証の授与があること,ラジオ体操については,こんな極寒の地でこれだけの人数でラジオ体操をするのは世界記録だと某書籍に認定してもらう企画も兼ねているのでぜひ参加してくださいとのことだった.

人間耐寒テスト開会式(マイナス15℃です)

バルーンマンション広場の様子
 
 注意事項の伝達が終わるととりあえずは解散となる.バルーンマンション広場に戻ってそろそろコンロを使おうかとも思ったのだが,22時にイベン トセンターに行かなければならないので断念した(まさか火を燃やした状態で放置するわけにもいかない).仕方がないので22時までやっている露店を巡って飲み食いしようとそちらに向かう.が,閉店前ということで食べ物は軒並み終了(泣),仕方がないので熱燗を買ってチビチビやって過ごした.   


12.カラオケ大会

 そんなこんなで22時になり,イベントセンターに向かう.受付で確認シールをもらうと係員が「これからここでカラオケ大会があるのでどうですか?」と誘ってくる.自分的にはタオル早回しの方に惹かれていたのだが,Kがカラオケ大会に出たいというのでそのまま自分もそちらにエントリーしてしまった(笑).
 カラオケ大会はイベントセンター内の大広間(?)で開催される.ここは屋内ということで,当然あったかい !(^^)! 外の寒さとは別世界だ.こんなところでぬくぬくしていていいんだろうかと罪悪感を感じるのだが,
 
これもしばれフェスティバルの公式イベ ントなのだから問題ないということでゆっくり寛ぐことに.そのうちに参加者が三々五々集まってきていよいよカラオケ大会の開幕であった.
 大会のルールは参加者が4チームに分かれて各チーム3人ずつ歌い,カラオケ機の採点による合計点が高いチームが優勝というもの(チーム名はS,B,R,Fで要するに ShiBaRe Festival の頭文字).
なのでエントリーしても全員が歌う必要はない.そこで我々はKが歌って自分は応援する側に回ることにした.
  いよいよ歌が始まった.参加者は若い人が多かったが,なぜかみんな結構古い歌を歌っている.ちなみにカラオケ機の採点で司会者が勝手に決めた基準点以下の人は辛し入りシュークリームを食べるという罰ゲームも用意されていた.
 で,カラオケ大会の結果だが,我々のチームが優勝! しかもウチのKが最高得点というおまけ付きだった.優勝チームの商品はしばれフェスティバルの一般には配らない缶バッジ,最高得点の商品は日本酒一升(とその辺からかき集めてきたようなおつまみ 笑)という酒好きにはたまらないものだった (^^)v.時計を見るとすでに午前0時を過ぎ,実は2時間もこんなぬくぬくしたところにいた計算になる.はたして再び極寒の世界に戻れるのか?と不安になりながらイベントセンターを後にした.

カラオケ大会の様子

賞品の清酒

優勝チームに配られた特別缶バッジ
 


12.しばれを楽しむ

 イベントセンターを出ると,外は一段と冷えていた.ステージの温度計を見ると,なんと!マイナス20℃,ついに大台に乗った.周辺を見渡すと何とな く大気に靄がかかったように見える.この後は寒さと戦って朝までいかにして過ごすかという時間である.我々はバルーンマンション広場でコンロを焚くことにした.コンロに帯広のホームセンターで購入した着火剤と炭をセットしてチャッカマンで着火,と意気込んだのだが… 

チャッカマンが云とも寸ともいわない (;゚Д゚)

凍り付いたのか火花すら出ない! これではどうにもならないので隣の団体さんから火種を拝借し何とか着火にこぎつけたのだった(感謝).で,食材等を保冷バッグから出すのだが

もちろん凍っていました(笑).


ついにマイナス20℃の大台に!

煙と人々の吐く息が白い
 
肉類は当然としてミネラルウォーターのペットボトルもカッチンカッチンである(さすがにワインや焼酎は大丈夫だった).まずは豚鍋をセット,ミネラルウォーターは凍り付いて使い物にならないため,朝ホテルを出る際に沸かしておいた象印の魔法瓶のお湯を使う.こんな寒環境に放置していたにも関わらず,中のお湯は熱いままだった(70℃はあった.さすがは象印! (^。^)).
 鍋が煮えるまでただ待ってるのも寂しいので,魔法瓶のお湯を使って焼酎のお湯割りをやることに.お湯は熱いのだが,焼酎が冷え切っているために割った段階で既にお風呂のお湯くらいの感じ,しかも外気のために一口飲むごとにどんどん冷たくなり,数分後には水割りになってしまった(さらに20分くらい放置すればオンザロックになりそう).そんな環境でも炭火の火力はすごく,豚鍋さらにはガーリックステーキとスタミナの付きそうな夜食をいただいた(ステーキは網で直接焼くと後の掃除が大変なので豚鍋の使用後のアルミ鍋を流用).
 

ミネラルウォーターも凍っています

ステーキ用肉もこの通り凍っていました

やっぱり火は暖かい

 
 ちなみにウチのKはしばれフェスティバルでお茶やアイスクリーム造りに挑戦したいと張り切っていたが,お茶立ての方はあまりの寒さに茶巾は凍るわ,お茶はシャーベットになりそうだわで散々な結果だった(笑).一方でアイスクリームの方は原材料をコンロで溶かして,出来上がったものをタッパーにいれてその辺に放置していたら勝手にアイスクリームに変化していたのだった(笑).
 その後も焼酎のお湯割りをチビチビやって時間をつぶす(お湯が不足してきたため会場内の水場で調達した水をコンロで沸かした.ちなみに炭が余ってもしょうがないので全部くべたため火力はかなりあった).そうこうしているうちにも気温はどんどん下がり周囲では,「今マイナス23℃になった」「ついに24℃だ」と盛り上がっている.時計を見ると3時半過ぎ,さすがにこの頃になるとコンロの炭も勢いがなくなってきた. 
 

氷点下のお茶立て

アイスクリーム作り

勝手に出来上がります
 


13.命の火にすがる

 自分のところの火の気がなくなって寒くなってきたので命の火にあたりに行くことにする.各種イベントをやっていた時間帯にはヴァルハラ城の炎上状態だった命の火もこの時間帯になるとだいぶこじんまりとした感じになっている(行ったことはないが,中央アジア・トルクメニスタンの地獄の門みたいな光景か).しかしそれでも火の力は偉大で,この温もりにほっとした(防寒対策をしてきたこともあり寒さでガクガクふるえることはなかったが,足先が冷えがきつかった. 一応足用ホッカイロは使ったのだが).人類の文明の起源をどこに置くかという議論で,火の使用をその起源とする説があるが,いやホント,火の使用は動物としてのヒトが人間に進化した画期的な出来事だったんだろうと身をもって実感した.

中央アジアの地獄の門状態の命の火

参加者が集まってきます
 
 ちなみに散々飲んできた身としてトイレにも行きたくなる.外に仮設トイレも用意されていたのだが,午前0時の段階で洗浄水が凍結してしまい使い物にならなくなってしまったため,イベントセンター内のトイレを使用することになる.イベントセンターはどうしても寒さに耐えきれなくなったチャレンジャーが死ぬ前に駆け込む場所(しばれフェスティバルの駆け込み寺か)になっているが,トイレを使うために入ったら,すでに何人かの参加者が力尽き果てた感じでうずくまっていた(実行委員会側としても本当に死人が出るとお祭りの存続自体が不可能になるので,ちゃんとセーフティーネットは用意している).
 そんな状況の中で午前4時前,ついにステージ上の温度計はマイナス25℃を表示した!さすがにここまでくるとしばれ度はマックスで,命の火から離れるのが辛くなってくる.3時頃には少し火にあたって寝ようかとも思っていたが,このまま寝ると本当に死んでしまうんじゃないかと不安になったのと,どうせ4時まで起きていたのだから,あと3時間頑張ればいいという思いからこのまま貫徹を決意したのだった(寒さのためか全然眠くなかった).やっぱり寒くなると火が恋しくなるのはみな共通のようで,4時半ごろから徐々に命の火に人が集まり始めた.そうこうしているうちに周囲は白み始める.ついに夜明けだ(陸別町は日本標準時よりもかなり東にあるため冬でも夜明けは意外に早い).この頃ステージの温度計はこの日マックスのマイナス26℃を表示していた. 
 

様々な恰好で暖をとる人々


マイナス25℃の記念写真


ステージこの日最低のマイナス26℃!
 


14.ついに朝を迎える

 ここからの2時間くらいは寒さのあまり記憶があやふやなのだが,結局今にも燃え尽きそうな命の火の近くで過ごしていた.この頃になると命の火も燃えカスのようになっていたが,それにしても夜明けの段階でちょうど燃え尽きるように薪の量が設定されていたのかと妙に感心してしまったのだった.
 朝になって人々の活動も始まり(笑),朝6時半に実行委員会の方がやってきて,「会場近くの河畔の温度計はマイナス29℃になってたから見て来たら」というので何人かで身に行ったりして最後の時間を過ごした.そしてとうとう朝7時,人間耐寒テスト終了の時間を迎えた.
 イベントの最後となるラジオ体操,マイナス26℃という過酷な環境で音楽再生装置も不具合が発生,音楽が途切れがちになる中,生き残った参加者一同ラジオ体操を実施,こうして長〜い夜が終わったのである.
 終了後は認定証の交付,これにはシリアルナンバーが振られているのだが,自分のは5715番だった.
 その後は朝食の時間,昨日の申し込み順にバスで朝食会場(町役場)に移動する.極寒の環境から暖かい朝食会場に移動して緊張が緩んだのか,急に眠気と疲労に襲われる.朝食はビュッフェスタイルでいろいろと美味しそうなものが並んでいたのだが,サラダとカレーをちょっとしか食べられなかった.朝食後お祭り会場に戻り,昨夜のコンロなどの撤収を行い,その後車に戻って力尽きたかのように休んだのだった.

夜明けの命の火

イベントセンターにも朝が

会場付近ではなんと!マイナス29℃
 

このキャラは…

最後のラジオ体操

認定証授与
 


15.しばれフェスティバルに参加して

 こうして第35回しばれフェスティバル人間耐寒テストは無事終了した.北海道生まれの北東北育ちの自分は寒い環境には慣れていると思っていたが, マイナス20℃越え一晩はさすがにきつかった.真冬にフィンランドやアラスカ,カナダにオーロラ観察に行くような環境に近いのだが,オーロラ観察の場合,は別にそうした環境で一晩過ごすわけではないので,あきらかにこちらの方が過酷であろう.

これが認定証です
 
逆に言えば,これに耐えられた自分はオーロラ観察は楽勝だろうなどと妙な自信も湧いてくるのだった.そんな感想を抱いたイベントでした(終わった直後はもういいかなと思ったんですが,あれから1週間たってまた参加したいなと心境が変化しているの でした 笑).  


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