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 SINCE 2011年9月25日
       

 第10回ひの新選組まつり参戦!!


第2部 パレード編

7.パレードの朝

 私は普段は寝坊のクセに,こういう時になると妙に早起きになる.この日も目を覚ましたのは6時前だった.外を見ると曇ってはいるものの雨の心配はないようだ.前夜コンビニで調達していたおにぎりとお茶で朝食を済ませ,7時過ぎにはホテルを出た.集合場所の高幡不動尊に向かうと,丁度劇団エルプロダクツの方々も集合場所に向かうところらしく,軽く挨拶をする.高幡不動尊に着くと,すでに多くの人たちが集まってきていた.受付で名前を告げると,昨年同様ビニールガッパを渡された(これは万一雨が降った場合に雨具として使用する他,昼食などで地面に座る際に敷くシートになる).境内にある建物(なんという場所なのか未だにわからない)の3階の大広間が着替え場所である.

懐かしの五重塔
 
何十畳もある大広間には各幹部隊士やゆかり隊の衣装が整然と並んでいた.昨年とほぼ同じところに「五番隊隊長 武田観柳斎」と書かれた衣装が置いてあった(当たり前だが,六番隊隊長井上源三郎の隣).さっそく近くにいた着付けの方にお願いして着替えをする.今年のひのパレも幹部隊士は大河衣装である.大河ドラマの武田観柳斎といえば八嶋智人さんが演じた,丸眼鏡でオカッパ,日の丸の金扇を持った観柳斎である.衣装一式を身につけ,眼鏡を装着して金扇を手にして鏡を見ると……,うひゃーそのものだ.そこには昨年六番隊隊長井上源三郎を演じた面影は全くなかった(笑).
 昨年はかつらを装着したため顔のメイクがあったが,今年は特に不要とのことで大いに時間が余ってしまった.私は他の人たちのメイクや着付けを見ながら気分を高めていった.特に土佐の岡田以蔵の衣装がかっこよく,近づくと本当に斬られそうな雰囲気だった.そうこうしているうちに続々と皆の着付けが終わっていく.昨日のコンテストで晴れて沖田総司役となったフランス人の彼もダンダラ装束に月代の沖田総司となっていた(特注の衣装という訳ではないため,袴から足が長くはみ出していたが).退任したシラク大統領に是非見せたかった晴れ姿だ(シラク氏は大の親日家で知られる).物珍しさも手伝って,私を含めた何人かが彼の周りに集まった.彼は自分を指して「何歳ニ見エル」と聞いてきた.私は25歳と答えた.他の人たちも24〜28位と踏んでいる.すると彼はニッと笑い「18歳」と答える.「エーッ!」ひっくり返りそうになる一同.何でも日野市の学校に留学している高校生なのだそうだ.私はてっきり駅前のNOVAのフランス語講師だと思っていた.やっぱり向こうの人の年齢は判らない(確かなことは,このフランス人の彼が酒屋で酒を買っても断る店員はいないであろうということだ).
 まだ少し時間があるため今度は外に出てみた.見知った顔もいる.ますますパレードへの期待が膨らんでいく.…そう思っているうちに沸いてきた不安.去年私は井上源三郎として六番隊隊長だった.しかし六番隊はプロ集団エルプロの軍団であり,元々隊としての結束は固い.私は彼女らの担ぐ御輿に乗って采配を取っていたに過ぎず,実際に隊長らしいことをやったわけではない(右も左もわからず,また井上源三郎のイメージを汚さぬよう畏まって行進していただけだ).しかし今年は違う.武田観柳斎の五番隊は一般参加の隊員ばかり,言ってみれば烏合の衆だ(まさに新選組そのもの).しかも観柳斎はお世辞にも人気のある幹部とはいえない.隊士にしても,できれば沖田総司や斎藤一といったかっこいい隊長の率いる隊に加わりたいのが人情.受付で「あなたは五番隊ね」なんて言われた日には,「えー,観柳斎」という気分になるのではないか(昔,巨人に指名されたがっていた江川卓がクラウンに指名された気分,または甲子園のアイドルだった愛甲がロッテに指名された気分 当時のロッテは本当にマイナーで,今のロッテマリーンズと一緒に考えてはいけません 笑).かくしてクラウンライター観柳斎(または日拓ホーム観柳斎)の悩みは深まるばかりだった.
 そうはいっても始まらないため,境内を歩き人々に愛嬌を振りまく皇帝観柳斎ではあった.
 

こうして順番にメイクを行っていきます.


2007年ひのパレ一怪しい隊長の誕生です(笑).


五番隊隊長武田観柳斎の袖章.今年は記念に貰えました.
 


8.出陣式

 そうこうしているうちに時間となり一同集合,出陣式の会場となる大日堂前に移動する.私は五番隊隊士一同を前にして挨拶した.「出雲脱藩武田観柳斎でアール.諸君は新選組の中で最も成績優秀な隊士であるから,是非とも頑張ってもらいたい」,ちょっとウケてる(武力30,運のよさ255の皇帝観柳斎としてはこれが精一杯のアピールであろう 笑).幸い今年の五番隊には昨年のパレードで幕府軍と新政府軍の鉄砲を使ったパフォーマンスに参加していた方々が何人か混じっていた.彼らはこういうイベントには慣れており,大いに期待できる.その他この五番隊には昨日の隊士コンテストで私やコシゾウさんの姿に圧倒された女の子や,私と同じく昨年からの参加で,しかも同郷(南部藩)のまーうささんといった個性的なキャラが揃っていた.隊士達もこれから始まる祭りに気分が高まっているのか,ややざわついている.実行委員会から各隊ごとに整列するよう指示が出たが,イマイチ浸透していないようだ.すると例の慣れた感じの我が五番隊士が大きくよく通る声で「整列!」と号令をかけ,ようやく隊列ができ始めた.おお,これは頼もしい隊士だと,彼を勝手に伍長に任命する皇帝観柳斎であった.
 昨年同様大日堂前で記念撮影を行う.最前列には日野市まちおこし連絡協議会会長で高幡不動尊の貫主である川澄祐勝さんを中心に,局長近藤勇と土方歳三が並ぶ.一番から十番の各隊長はその後ろ,以下一般隊士の方々が並び,各隊の旗は最後尾となる.一昨年は記念撮影に間に合わなかった(着付けに手間取ったと思われる)方がいたらしいが,昨年・今年は無事に全員集合して写真に納まった(ところで昨年の記念品はこの全体写真だったが,今年は各隊毎の写真だった.もちろんこれはこれで嬉しいのだが,全体の集合写真も欲しい.どうしたら貰えるのだろうか?).

こうして三々五々隊士が集まってきます.


我が五番隊の旗(提供 まーうささん)


大日堂前で出陣式の開始を待つ.
 
 その後隊士一同大日堂方向に向きを変え,ここで近藤局長およびミスター土方(コシゾウさん)の挨拶を経て,さあいよいよ出陣である.ワクワクする気持ちを抑えながら,石の階段を駆け下り土方歳三の銅像の前にて再び集合,ここでは貫主さんらの読経に続き,ミスター土方による献花が行われ厳かな雰囲気であった.その後コシゾウさん音頭による勝鬨を上げ,出陣となるのだが…,どうやら馬がナーバスになっていて,なかなか騎乗できないらしかった.   

(左)昨年の源さん (右)今年の観柳斎

大日堂前に整列する五番隊の隊士.

左から沖田,近藤,土方,鉄之助です.
 


9.短い高幡パレード

 その後どうやら馬も落ち着いたらしく,ミスター土方も馬上の人となった.いよいよ隊士パレード午前の部,高幡地区パレードの開始である.ミスター土方を先頭に市村鉄之助,局長近藤勇,総長山南敬助が続いた.サンナンさんは去年別なところにいたような気がするが,やはり総長ということで局長の傍に来たのであろう.その後一番隊から順次行進し,高幡不動尊を後にする.四番隊に続き,わが五番隊が道路を渡ろうとすると…,丁度赤信号に,こりゃイカンと立ち止まっていると,「いいから,早く渡って」と係員(警察?)の人が急かす.いいのかなと思いつつ,赤信号を渡った五番隊一同であった(これが後々,わが五番隊幻のパフォーマンスにつながっていくとは知る由もない).
 不動尊を後にして高幡地区を行進していくのだが,どうも昨年に比べて静かな感じ.昨年はドンパチ(鉄砲や大砲)のパフォーマンスやあちこちでの抜刀,勝鬨があってにぎやかだったのだが,今年はいたって静かに行進が続く.高幡不動駅前での抜刀もなかった.途中若い女の子の二人連れが私の姿を見て,「えっ,誰?山南?」とか言っている.「どう贔屓目に見てもサンナンさんには見えんじゃろ!」と心の中で突っこむ皇帝観柳斎だった.商店街を歩いているうちに遥か向こうにはあの五重塔が,「えー,もう終わり」,全然テンションが上がらない一同だったが,前方から抜刀なしでの勝鬨が起こり(後になって知ったのだが,斎藤一こと去年の局長が始めたらしい.さすが局長!),わが五番隊もそれに乗って少しだけテンションが上がったのだった.
 しかし高幡パレードはわずか30分であっけなく終了し,我々は元の高幡不動尊に帰ってきたのだった(今年は駅前ロータリーでの抜刀が禁止されたためらしい).

さあパレードの出発

騎乗したミスター土方

局長近藤勇,その後ろは総長山南敬助です.

会津藩主松平容保公と照姫です.
 

中野竹子以下の娘子隊が続きます.

ご存知白虎隊です.会津若松市から参加です.

新選組流山隊です

 

市谷柳町試衛館です

新選組ゆかり隊です

フランス軍人ブリュネ
 
 
 
 


10.昼食とパフォーマンス準備

 昨年は高幡パレード後,バスでスポーツ公園に移動して,そこで昼食・パフォーマンス・山本耕史登場という流れだったのだが,今年は高幡不動尊での昼休みとなる.早速弁当とお茶が配られ,各隊ごとに異様に早い昼食となった(究極の早弁状態).わが五番隊は大日堂前に陣取って,朝配られたシートを敷いて車座になった.
 こんな時こそ隊の結束を固めようと思った皇帝観柳斎は,「じゃ,みんなでいただきますをしてから食べましょう.では,ご,よん,さん,に,いただきまーす」などとクダラナイことを言っていたのでした(五番隊の皆さんごめんなさい 泣).弁当の中身はというと,主食はおにぎりで,おかずは昨年よりグレードアップしていた(フライが大きかった).
 我々が昼食を摂っていると,五番隊付き係の方がやってきて,午後のパレードで各隊毎のパフォーマンスがあるから,それについて話し合ってはどうですかとのこと.そ,そうか,何も考えていなかったと冷や汗を垂らす私だったが,結局みんなで考えたのは切腹ネタであった(やっぱり観柳斎隊は正統的なパフォーマンスには向かないらしい).五番隊隊士全員が切腹したら,インパクトが強いんじゃないか.理由はもちろん士道不覚悟だ,けど我々何か不覚悟あったか?と考えていると,伍長が「今年のパレードは交通安全パレードとタイアップしているらしいです.さっき我々は赤信号を渡ってしまいました.これは立派な士道不覚悟じゃないですか」,おお,その通りだ.よし,赤信号を渡った罪で全員切腹しようと決定,しかし介錯人がいないと格好が付かないことに気づいた.幸い今年の五番隊は観柳斎を除き14名見事に男女7人ずつだ.そこで男性7人が切腹し,女性7人が介錯するという形とし,皇帝観柳斎の「切腹始め!」の合図(どんな合図だ 笑)で順に切腹していくことになった.さっそくリハーサル開始,観柳斎が叫ぶ「我々五番隊は交通安全パレードとタイアップしているにもかかわらず,赤信号を渡るという士道に背くことをした.よって総員切腹する.切腹始め!」,男性隊士が小刀を腹にあて,女性隊士が大刀を振りかざす.すると,「ここは抜刀禁止です!」という係りの方の声,「すみませーん」と一同刀を鞘に収めたのだった(まさに士道不覚悟,切腹ものだ 汗).かくして刀なしでリハーサルは進む.順々に切腹していったが,最後の一人が「隊長はどうなるんですか」と痛いところを突いてくる.まさか薩摩藩邸に駆け込むつもりだなんて言えないため,結局彼の突っこみの後,女性隊士がみんなで皇帝観柳斎をボコボコにしてパフォーマンスは終了という,ドリフのような結末と決まったのであった.
 

我が五番隊幻の切腹ネタ.「総員切腹よーい!」

端から順に切腹していきます.女性隊士は介錯です.

隊長に突っこむ隊士,この後観柳斎がやられます(笑).
 


11.不逞浪士を発見?

 この後は土方歳三の銅像前で隊毎の記念写真を撮り,バスで市役所に移動する予定である.しかしまだまだ時間があったため,私は件の伍長と大日堂付近を散策していた.すると山門付近にたたずむ怪しい人影が,いかにも不逞浪士風情の三人だ.見ると指名手配中の桂小五郎,高杉晋作,坂本龍馬に似ている.かつて枡屋を奇襲して古高俊太郎を捕縛した観柳斎としては見逃せない.私と伍長が踏み込む,「御用改めでアール,手向かい致せば切り捨てる!」.うろたえる三人の浪士,さっと袖章を裏返す.「高杉」とかいう文字がチラッと見えたような気がしたが,目が悪い観柳際には判らない(笑).「お前たちは手配中の不逞浪士ではないのか?」と聞くと3人は,「いや,そのようなものではありません」との答え,私が「桂小五郎の首には十万両の賞金がかかっておるのだ.万一桂を見つけたら新選組の屯所まで知らせてもらいたい」と言うと,三人は「判りました」と答えてそそくさとどこかに消えていった.

私が山門で見かけた,不逞浪士に似た人たちです(笑)

五番隊の集合写真.土方像の前で.
 
 「どうして捕まえなかったんですか?」と件の伍長が私に疑惑の視線を向けている.「いや,証拠がないからな」と私.「隊長,袖の下から小判が見えてますよ」とつっこむ伍長,私は適当なことを言って誤魔化した(この時から,私が薩摩藩と通じているのではというウワサが五番隊内で広まった 笑).
 不逞浪士の探索から戻り,今度は銅像前での記念撮影に臨む.カシャッと軽快に写真に収まった五番隊であった.その後市役所行きのバスに乗り込むべく境内を出て歩き始めると,なにやらけたたましくサイレンを鳴らしながら走り去る消防車,後にこの消防車が午後のパレードに微妙な影響を与えることになるとは,この時の我々はまだ知る由もない.境内を出た歩道でバスを待つ我が五番隊一同,だがバスはなかなかやってこない.この頃から日差しが強くなり,気温もグングン上がってきた.北海道生まれ岩手育ちの皇帝にはかなり堪える気候である.待つこと十数分やっと到着したバスに乗り込んだ我々だった. 
 


12.日野地区パレード前半

 バスは高幡不動尊を出発し,最近開通したばかりというバイパスを走って市役所前に到着した.ここが午後のパレードの出発地点兼ゴール地点である(去年はスポーツ公園発の市役所着).我々がバスを降りて歩き始めると,なんと近藤局長が歩いてくるではないか.「これはこれは局長,お疲れ様です.おい,お前達,道を空けないか!」と隊士を押しのけてスペースを作る皇帝観柳斎,これでまた隊士の人気が下がったに違いない(笑).
 市役所前に集結し,さあ出発かと思ったが,なかなか出発しない.どうやら後続部隊の到着が遅れている模様.ここでまた時間をつぶす事になる.前方を見ると,土方用の馬が神経質に同じところをぐるぐると回っていた.どうやら相当ご機嫌斜めらしい.
 ざっと30分は待ったであろうか,ようやく出発の合図があった.いよいよ日野地区パレードの開始である.メイン会場を後にして日野駅方面へ向かう下り坂を進んでいく.昨年私は井上源三郎として六番隊を率いて,午後は本隊とは別行動をとったため(井上源三郎資料館から宝泉寺を経て,八坂神社で本隊に合流した),一同そろっての午後パレード出発は初めての経験である.ふと後ろを見ると,源さん以下六番隊も付いてきていた.どうやら今年は昨年とは趣向が違うらしい.
 しばらくは太い道路を下りながら途中から右手に入った.ここからはなんとなく住宅地の様相を呈してきた.気温はグングン上がり,漸次堪えてくる.私は「よし,気合を入れろ,チェストー,あっしまった」などとアホなことを言って伍長や旗持ちの子を呆れさせたのだった(こうしてますます観柳斎と薩摩藩の癒着が疑われた 笑).

ここが日野宿本陣です


笑顔がとっても素敵な,
爽やか源さんです.


金扇を掲げて勝鬨を挙げる観柳斎.

 
 沿道には地元の方々も顔を出し手を振っている.中には「いいぞ,観柳斎!」の声も.なんだ観柳斎もちょっとは人気があるじゃないかと安心した私だった(昨年源さんをやった時は,地元の人たちの温かい励ましをいっぱい頂いたが,今年は観柳斎ということで「出雲に帰れ!」なんてヤジが来るんじゃないかと,ちょっとだけビクビクしていた).
 その後甲州街道(国道20号)に出ると沿道のお客さんは一気に増え,我々の気分も盛り上がる.私や伍長は「五番隊の武田観柳斎です.次期局長にはこの武田観柳斎に清き一票を」などと言って笑いをとっていた.
 ふと見るとお父さんに連れられた小さい男の子がいる.「君も大きくなったら新選組に入るか」という私の問いに男の子は小さな声で「入る」と答えた(お父さんにそう答えるように促されていたのだが 笑).
 その後も「皆さん,不逞浪士を見かけたらすぐに新選組の屯所に知らせてください」などと沿道の人々と交流しながらパレードは進んでいった(完全に五番隊=お笑い隊のイメージになっていた).しばらく歩いて日野宿本陣前で抜刀,勝鬨を上げた(昨年は別行動だったため,日野宿本陣は通らなかった).
 ところで,勝鬨を上げながら思ったのだが,抜刀・勝鬨は隊長が「○番隊抜刀!エイ,エイ,オー」とやるのだが,大河版武田観柳斎はでっかい日の丸金扇を振って音頭をとるため,唯一人抜刀しない.つまり格好良く抜刀・納刀ができなくとも隊長が勤まってしまうという,私のような運動神経ダメ人間にはうってつけの隊長役なのだった(抜刀・納刀に自信のない方は,是非コンテストで武田観柳斎を狙おう 笑). 
 

騎乗の副長土方歳三

局長近藤と総長山南

一番隊隊長沖田総司
 

二番隊隊長永倉新八

三番隊隊長斎藤一

四番隊隊長松原忠司
 

五番隊隊長武田観柳斎

六番隊隊長井上源三郎

七番隊隊長谷三十郎
 

八番隊隊長藤堂平助

九番隊隊長鈴木三樹三郎

十番隊隊長原田左之助
 


13.日野地区パレード後半

 さて甲州街道を西に進むと間もなく八坂神社が見えてくる.去年はここで休憩・給水となった.今年も当然そうだろうと思いきや,あれっ素通り.ガーン!休憩なしらしい.時間が押しているためと思われたが,実は神社付近で火事があったらしかった(先だって遭遇した消防車の目的地がここだったらしい).
 休憩がないとわかると,一気に疲労が増してくる.パレードはJR日野駅へ,ふと見ると目の前には缶入り緑茶をいっぱい持った実行委員会の方,どうやらここが給水スポットらしい(完全にマラソン状態).我が五番隊はお茶を受け取ると,「よーしみんな飲め!」と隊を挙げて一気に飲み干した.
 日野駅前を通過し,去年お花を捧げた源さんの墓所がある宝泉寺の前を通る.そして各隊が鍛えに鍛えた(笑)パフォーマンスを見せる”いなげや前”(なんの店だ)に差し掛かった.

願い事を書くようです.絵が桃伝タッチです.

参謀伊東甲子太郎です.
 
 いよいよ我が五番隊自慢のお笑いパフォーマンス,と思ったら……,「間もなく交通規制が解除されますので,そのまま急いで通過して下さい」とのこと,時間が押していたらしい.幸か不幸か我々のパフォーマンスはお蔵入りになってしまった(泣).その後道路を右に折れ,さっき下った道路を今度は登ることになった(去年もここを登ったのは覚えている).八坂神社での休憩がないまま行進してきた隊士一同の疲労は増すばかりだった.去年は途中から折れて実践女子大脇を通った記憶があるのだが,今年は直でメイン会場に帰ってきた.ただ交通規制時間は過ぎており,新選組隊士一同市役所前の道路にぎゅうぎゅう詰めにされた.ここでまた諸団体のパフォーマンスのためしばしの待機となった.今年は本当に待機の多いパレードである.前方では踊りやドンパチのパフォーマンスなどが繰り広げられていた.なんとなく,新選組全体がダレた感じがしてきたが,この時局長と副長が道路脇の少し高いところに上って,激励の挨拶をして隊を引き締めた.そしていよいよ全体のフィナーレとなるメイン会場への凱旋である.一番隊から順次凱旋の勝鬨を上げていく.四番隊が終わり,さあいよいよ我が五番隊の凱旋だ.会場にはプロレスのリングアナウンサーのような声が響く.「五番隊隊長武田観柳斎殿,ごとーちゃーく!」隊士一同の顔も引き締まっている.武田観柳斎の掛け声とともに,五番隊最後の抜刀,勝鬨は無事終了した.  

隊士に最後の檄を飛ばす近藤と土方.

メイン会場で,いよいよ解団式が行われます.

最優秀賞のエルプロの見事な殺陣.
 

 こうしてパレードは終わった.昨年はこれでなし崩し的に解散となったのだが,今年はメイン会場での解団式が行われるらしい.先ほどのリングアナウンサーが「新選組局長,近藤勇殿ご登壇,ご着席下され〜」と叫んでいる.局長,副長と源さんが登壇するのかと思っていたら,一番から十番の全ての隊長と旗持ちのご登壇と相成った.
 幹部隊士一同登壇が終わると,川澄会長のご挨拶に引き続き,パフォーマンスコンテストの結果が発表された.優秀賞には会津新選組同好会が,そして栄えある最優秀賞には六番隊を構成していたエルプロダクツが選ばれたのだった.そしてステージ上で最優秀賞のエルプロの殺陣が披露された(隊長の井上源三郎も先頭に立って戦っていた).その後は触れ合いタイムとばかりに,記念撮影大会となる.隊士一同お互いに写真を撮りあったり,観光客の方々と記念写真に納まったりしながら楽しいひと時を過ごした. 
 

終了後記者会見状態の幹部隊士一同

五番隊最後の集合写真(観柳斎唯一の抜刀写真).

六番隊エルプロの人たちに攻撃される観柳斎
 

ブリュネ役のONEさんは昨年の土方です.

坂本龍馬に逆襲されうろたえる観柳斎

高杉晋作に絡む観柳斎(お前は誰の味方だ!)
 


14.終宴そしてまた会う日まで

 楽しい時間はあっという間に過ぎる.会場では実行委員会の人たちが撤収作業を始めていた.たまらなく寂しい光景である(祭りの終焉といった感じ).私は市役所を後にして,高幡不動尊に戻った.「お疲れ様でした」と挨拶しながら,着替え場所に入る.今朝隊服を纏った大広間にて今度は私服に着替える番である.折からの暑さで襦袢など汗びっしょりなのだが,着替えるのがとても名残惜しい.金扇を仕舞い鉢金頭巾を脱ぎ,丸眼鏡を外してどんどん一般市民に戻っていく自分,すべてが終わった時,私は大きくため息をついて畳の上に座り込んだ.何分ほどそうしていたか(おそらくはそれ程の時間でないだろう),やがて立ち上がり外に出た.ここで土方役のコシゾウさんや今年の松原忠司の子,龍馬役のフミヲさんらに会って再会を誓いあう.そして会場を後にした.
 その後ホテルに寄って荷物を受け取り,高幡不動の駅へ,私服で歩いているにも関わらず「武田隊長お疲れ様です」の声がかかる.やっぱり判るのだろうかなどと照れながら会釈をした.例によって混雑する京王線で新宿へ,そこから中央線を乗り継いで新幹線に無事に乗り込んだ.

今回専属従軍カメラマンを務めてくれたKと

盛岡で乗り換えた最終のいわて銀河鉄道です.
 
 昨年のレポにも書いたが,恐ろしいほど充実した二日間であった.昨年は初参加ということで当初右も左もわからない状態であったが,多くの方々と触れ合うことができた.今年はそれらの方々との再会を果たすとともに,また新しい人たちとも知り合うことができた.コンテストでは思いがけなくも,武田観柳斎役を頂くこともできた(今年のレポが昨年に比べてテンション高めなのは,観柳斎になってはじけたからです 笑).ひの新選組まつりに参加しているのは年齢,職業も様々な人たちである.しかし新選組を愛するという共通点があるために,皆すぐに打ち解けることができる.この人の輪はこれからも大切にしたい.
 20時7分東京発最終のはやては一路北に向かって走り出した.私はこのお祭りで出会った全ての人々に深い感謝を捧げつつ眠りに落ちていった.みなさん本当にお疲れ様でした.また来年きっと会いましょう!
 
 
 〜 完 (明日からまた日常の世界) 〜  

記念品としていただいた誠の扇
 
 
     


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