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 キリストの墓とピラミッド


青森県新郷村

 世界には不思議なところがたくさんあるとはいうものの,日本国内だって魅力的な場所は数多い.もちろんその種類は千差万別で,日本100名城や日本三景などに代表されるような正統的な観光地がある一方で,ちょっとマニア向けといった感じの,いわゆるB級観光地というべきものも存在する.青森県新郷村はそんなB級観光地の中でもひときわ異彩を放っている.ここにはなんと! キリストの墓ピラミッドという,本当なら世界にとどろくべき超重要スポットが存在するのだ.

非常にシュールな標識である
 
 新郷村は正統的観光地(笑)として有名な十和田湖の東側に位置する村である.主要産業は農業および林業で,人口は2500人ほど.平成の大合併によって全国の小規模自治体の多くが消滅する中,昭和30年代から村域が全く変化していない孤高の村としても知られている.  


大石神ピラミッド

 そんな新郷村にキリストの墓やピラミッドがあるのはなぜか? 話は1934年(昭和9年)にさかのぼる.この年の10月日本画家の鳥谷幡山が新郷村を訪れた.この時に彼が村の羽井内地区にあった大石神の巨石を見つけて,「これはピラミッドだ」と言い出したのが始まりである.実は鳥谷は「日本に太古のピラミッドがある」という説を唱えていた酒井勝軍の知人で,酒井とともにピラミッド探しをした経験があったのだそうだ.酒井によると日本のピラミッドはエジプトのものとは異なり,山の頂上に鏡石や方位石が設置された構造だという(エジプトは砂漠で何もないから石を積み上げる必要があるが,日本は山が多いからその必要はないのだそうだ.じゃあメキシコはどうなのかという疑問がわくが不明である).これによってまずはピラミッドが発見された(?)わけである.

ピラミッド入り口

案内板です
 

大石神ピラミッド説明版
 

 この大石神ピラミッド,新郷村を東西に横断している国道454号線を村役場から7キロほど西に行った森ノ上の交差点を北に一般道に入り,さらに2キロほど行った地点から砂利道に進んでいく(途中に案内板があるので迷うことはないだろう).赤い鳥居のある広場に車を止めてそこから登っていく.細い登山道のような道を進むとしばらくして巨大な岩が転がっている場所に着いた.どうやらここがピラミッドらしい.

ピラミッド麓の鳥居
 
 岩にはそれぞれ太陽石,方位石,星座石と名前が付けられた説明板があった.それによると

 太陽石 昔は光っていて,反射した太陽を礼拝したといわれている石
 方位石 正しく東西南北を示している石
  (注 岩にひび割れがあるらしい)
 星座石 めぼしい星を記録しておいたといわれる石
  (注 観察してみたがどれが記録なのかはわからなかった)
 
ということのようだった.
 ちなみに近くには上大石神ピラミッドというのもあって,そちらも訪ねてみた.こちらは林道から急な登山道を200メートルほど登っていく.ちょうど山頂部分に巨大な岩が鎮座しており(特に説明板はなし),この岩だけならピラミッドののてっぺんだといえなくもないなと感じたのだった.

ピラミッドへの道
 

太陽石と方位石

星座石

上大石神ピラミッド
 


キリストの墓

 さて続いてはキリストの墓である.時代は再び昭和の初めに戻る.大石神ピラミッドが発見された翌1935年(昭和10年)に今度は超古代史研究家の竹内巨麿がこの地を訪問した.彼は超古代の日本に高度な文明があったという凄い説を唱えていた人物なのだが,そんな竹内が新郷村戸来地区にあった土盛りを指して「これこそキリストの墓である」と言い出したのである.彼の家に代々伝わる資料(竹内文書)によると,ゴルゴダの丘で十字架にかけ

キリストの墓の看板(コカコーラと協賛しているのか?)
 
られたのはイエスではなく弟のイスキリであり,イエス本人は日本に渡り,今の新郷村に住みついて106歳の天寿を全うしたというのである.その証拠として挙げられているのが以下のものである.

@ 墓のある地名「戸来(へらい)」はヘブライがなまったものである.

A この地域では子供が産まれ,その子をはじめて戸外に出す時に額に墨で十字を書く.

B この地の名家沢口家の家紋はダビデの星である.

C この地に伝わる盆踊りの歌詞「ナニャドヤラー,ナニャドナサレノ…」はヘブライ語で「御前に聖名をほめ讃えん…」と読める.

 
 
 何とも凄すぎる話であるが,このネタが村をPRしたい村長以下幹部の思惑と合致し,キリストによる村おこしが始まったのである.ちなみに上記の証拠には反論もたくさんあり,へらい→ヘブライは偶然であるし,沢口家の家紋は五角形でユダヤの六芒星とは角の数が違う,「ナニヤドヤラー…」は単純な男女の語り合いである(柳田國男説)などというのがある.
 それはともかく,新郷村役場から西に4キロほど行った戸来地区の小高い丘にキリストの墓はある.駐車場からなだらかな坂を上っていくと,2つの土盛りがあってそれぞれに十字架立っていた.そのうち戸来塚と書かれている方にキリストが,もう一つの十代墓に弟イスキリの耳が埋葬されているという.二つの墓の間にはなにやら石碑があって,なんとこれはエルサレム市から贈られたものだそうである(もっとも石碑には新郷とエルサレムの友好のためにとしか書かれておらず,エルサレム側がキリストの墓の存在をどこまで認識していたかは定かでない).
 キリストの墓の背後にはてっぺんに十字架が掲げられた教会風の建物が建っている.ここがキリストの里伝承館で,キリスト伝説の他村の風俗などを解説した資料館となっている(冬季は休館とのこと).また2013年に訪問した際にはなにやら金属製のピラミッドのようなものが新たに作られていた.

キリストの墓(戸来塚)

イスキリの墓(十代墓)

エルサレム市からの石碑
 

石碑のアップ

キリストの里伝承館

新郷村の風俗
 


キリスト祭り

 新郷村のキリスト村おこしはこれだけではない.国道454号線の墓や伝承館の反対側には小さな土産物屋があるのだが,この店の名前が

 キリストっぷ
 

 ウソではない,本当にそう書いてあるんだから仕方がない.しかもそのマークは某コンビニチェーンを髣髴させるし,営業時間が十字架ら三時までなどと,やけになってるとしか思えない状態だ(「いいんでねえが新郷」などと開き直ってるし 笑).
 ちなみにどんなものが売られているのかというと,キリストのハッカ飴(飴とアーメンを引っ掛けている模様 (+o+)),キリストの遺言書てぬぐいなどという頭が痛くなるものばかりだ(地元産のシイタケや岩魚の炙り寿司など普通に興味をそそられるものもあるが).このキリストっぷ,2007年に訪問した時は存在しなかったから,その後にできたことは確実である.その他に地元の酒屋では”清酒 キリストの里”を売っているし,食堂には”キリストラーメン”もあるらしい(残念ながらこれは食べたことがない).

 そして極め付けは,毎年6月初旬の日曜日に開催されているキリスト祭りである.これは1960年代から開催され,2014年には第51回を数えた村の伝統的な(?)お祭りである.その名の通り,前述のキリストの墓が会場となり,キリスト慰霊祭や野宴が行われる.
 が,慰霊祭はなんと神式で行われる.ええっ!と思われる向きもあるだろうが,考えてみればキリストの墓=新郷村説では,イエスが十字架上で死んだというキリスト教の根幹に関わる設定が否定されているので,原始キリスト教から始まる現代の諸教会との整合性など全く不要であり,牧師や司祭が出てくる必要性もないのである(エルサレム市からの石碑贈呈も案外この伝説が非キリスト教である点が評価されたのかもしれない).

これがキリストっぷ

十字架ら三時って…

キリストのハッカ飴

遺言書手ぬぐい
 
 そんなキリスト祭り,最後は村人がナニヤドヤラを踊りながら墓の周囲を回る奉納舞で締めくくるらしい.過去何度か新郷村には来ているが,残念ながらキリスト祭りは未経験である.いつの日か生で見てみたいものだ.
 (訪問日 2007年5月27日,2013年6月11日) 
 

その他のお土産物

清酒キリストの里

第49回のポスター
 



 

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