ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

ホーム

海外旅行記録

国内旅行記録

非日常の世界

日常の世界

幕末・新選組の
小部屋

 ”100”の小部屋

学問の小部屋

ビザンチン帝国
とは

アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日

セブンイレブン買占め計画


1. 始まりは些細なことから

 私は昭和59年4月から63年3月まで東北大学に在籍し,東北大学混声合唱団で活動していた.大学合唱団の衰退が囁かれる昨今だが,当時この合唱団は100人を越える大所帯で,毎年30人位の新入団員を迎えていた.当然活発な勧誘・歓迎活動が行われるわけだが,花見・コンパ・合宿といった定番の歓迎行事の他,合唱団非公認の,言ってみれば闇の歓迎活動が行われていた(あくまでも既に合唱団に入団した新入団員に対する歓迎で,怪しげな勧誘をしていたわけではない).その中心となっていたのが私と友人のNである.学生指揮者や委員長などの役員を合唱団の表の顔とするならば,当時私とNはいわばウラの顔として活躍(暗躍?)していたのである.その裏の新歓活動として”山形にラーメンを食いに行く”(注1),”深夜ドライブ”(注2)などと共にこの”セブンイレブンでの買占め”があった.早い話が,仙台市内のセブンイレブンで売っている商品1種類を全て買い占めるという本当にどうでもいい企画である.
 ことの発端は些細なことだった.昭和61年4月のある日合唱団の練習が終わり何人かで近くの食堂で夕飯を食いながら,昔のアニメやドラマで悪人が札束を空中にばら撒きながら,「ガハハハ」と笑うシーンが話題になり,その時誰かが(私だったか,Nだったか,それとも他の人間であったか20年近く前のことなので覚えていない.誰か覚えていたら教えてくれ)「大量のベビースターラーメンを札束のように放り投げたら気持ちいいだろうな」と言ったのである.それは面白いということで早速実行に移すことになったのだが,どうせやるなら仙台市内の全セブンイレブンのベビースターラーメンを買い占めようという事に話が膨らんだのである.中にはこの際,仙台市内全商店のベビースターラーメンを買い占めようなどと強気なことを言う奴もいたが,スーパーなどでもしも箱単位で売っていたりした場合,我々の経済力では歯が立たなくなる恐れがあったため却下された.当時仙台市内には約30軒のセブンイレブンがあったが(現泉区は当時泉市であったため除外した),この頃の仙台タウン情報にコンビニマップが載っていたのでそれを元に,Nの車(赤いスターレットだったと思う)で仙台市内中を一晩走り回り買いあさった.
  


2. 松田食品の車を目撃

 結局約200個以上のベビースターラーメンが我々の手に入ったのである.その後実際にこのベビースターラーメンを袋ごと放り投げ(さすがに中身を出してシャワーにするのはバチが当りそうなのでやめた.なんたって1人当り2000円位かかっているのだ)また,しばらくの間我々のおやつがベビースターラーメンになったことはいうまでもない.
 数日後の夕方,我々はまだ買占めの余韻に浸りながら広瀬通(仙台市内のメインストリートの1つ)を走っている時,目の前に三重ナンバーの車がいるのに気づいた.仙台で三重ナンバーを目撃するなどめったにないことである.何だと思ってよく見ると,な,な,なんとボディーに松田食品の文字が! 松田食品はベビースターラーメンの製造元である(現在はおやつカンパニーと改称).もしや我々の買占めと関係があるのでは? 考えてみれば深夜突然,1つのコンビニチェーンからベビースターラーメンが姿を消せば,営業の人にとっては一体何が起こったのか気になるところであろう.実際この買占めの数日後近くのセブンイレブンに行ったがベビースターラーメンは品切れのままであった.この松田食品の車の目的は不明であったが(まさか車を停めて聞くわけにもいくまい),我々の買占めが関係している可能性はかなり高いと思われた.
  


3. チョコボールは手強い

 これに気を良くした我々は翌昭和62年4月,新入団員を巻き込む形で再びセブンイレブンの買占めに挑んだ.ターゲット商品は森永チョコボールに決まった(これを言い出したのは私である).前年は思いつきで行われたが今回はあらかじめ計画を立て参加者を募集したため,人員も3倍位に増え,また車を4台動員して一斉に行うことにした.前年大成功の記憶があり,我々は自信にあふれていた.しかし行動開始からわずか5分で我々は前年とは状況が違うことに気付かされた.前回のベビースターラーメンの時は1つの店で売っている数はせいぜい5〜10個程度であり,全部買っても10個×30円で300円程度ですんでいた(この当時まだ消費税はない.中曽根内閣が売上税を導入しようとして国民の反発を買い,選挙で中曽根総理が「大型間接税は導入しません! この顔がウソをつく顔に見えますか?」と後に有名になるセリフを吐いていたころである).しかしチョコボールはピーナツとキャラメルの2種類があり,しかも売れ筋の商品なのか各店に10〜20,場所によっては30個以上も売っているのである.しかも1個50円であり,20個としても20×50円で1000円になってしまう.前回の3倍以上である.我々の顔からたちまち血の気が引いた.幸い今回同行した中に金持ちの奴がいたため,大口の店ははそいつに任せることで何とか買い占めることができたのである.買ったチョコボールは500個以上にのぼった.  

これが買い占めたチョコボールの山.しめて500個以上あるのに金のエンゼルは1枚も見つからなかった.

買い占めたチョコボールでの祝杯.


   
 


4. 金のエンゼルはどこに

 ちなみにチョコボール買占め後に森永の営業車を目撃することはなかった.松田食品(おやつカンパニー)にとってベビースターラーメンは社運がかかった商品であるが,森永にとってのチョコボールは数ある人気商品のひとつに過ぎず,それほど営業の人の関心を呼ばなかったのだろう.
 ところでチョコボールといえばおもちゃの缶詰である.昔のCMで「金なら1枚,銀なら5枚」といっていたやつだ.私は幼少時からチョコボールが好きでよく買っており,銀のエンゼルはしばしば手に入れ,おもちゃの缶詰もいくつか貰ったこともある.が,金のエンゼルには一度もお目にかかったことがなかった.今回我々は500個以上のチョコボールを手にしたわけで,これだけあれば何枚か金のエンゼルも入っているだろうと思っていた.しかし開けても開けても金のエンゼルは出てこない(銀は50枚位出てきた).結局500個以上のチョコボールに金のエンゼルは1枚も入っていなかったのである.金のエンゼルの本来の出現頻度がどれほどのものか,森永に就職した友人がいないので知る由もないがこの買占めの結果からは500分の1以下ということになるのであろう.こうなってくると金のエンゼルが実在するのかという疑問も湧いてくる.もしかしたら金のエンゼルなどというものは存在せず,メーカーが販売促進のためにでっち上げているだけなのかもしれない.この疑問は私が金のエンゼルを目にするまで永遠に続くであろう(平成15年10月現在,未だ金のエンゼルは目撃されていない).

 注1) 山形にラーメンを食いに行く:昼食にラーメンを食べに行こうと新入団員を誘い,山形市のラーメン屋に連れて行くという企画(ただそれだけ).
 注2) 深夜ドライブ:練習後などに思いつきで行くドライブ.近県の海岸や山岳道路に行くことが多い.大抵帰りは翌朝になる.


 

 トップページに戻る   学生時代トップに戻る