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 ラメーン窓口


  その昔、東北大学片平キャンパスの南門近くに公孫樹(いちょう)食堂という学食が存在していた.片平は昔から東北大学があるキャンパスであるが,昭和40年代以降多くの学部が移転してしまい(理学部,工学部は青葉山,文系学部は川内など),私が在籍した昭和60年頃には本部といくつかの研究所を残すだけとなっていた.一般の学部学生には行くこともあまりないキャンパスであったが,私が所属していた東北大学混声合唱団の練習会場があったため週に3回は出入りしていた.  

この時入手したラメーンの看板
  公孫樹食堂は合唱団の練習会場のすぐ近くにあったために,土曜日の練習前には昼食によく利用していた(ちなみにこの食堂は夕方には営業していないため,平日の夕方の練習の際にはキャンパス北門にある北門食堂を利用することになる).
 この食堂の中華麺カウンターにかかっていた看板がなんと
「ラメーン窓口」であった(この誤植は全国的にもよくあるらしく,インターネットで検索すると結構ヒットする).この看板はしばらくカウンターに貼ってあったが,平成2年に久しぶりにNとこの食堂を訪れたところ,看板には紙が張ってあった.昔のことを知っていたわれわれが店員に「この看板は何ですか?」と聞いたところ,「ああ,これですか.実はラメーンて書いてあるんですよ.だからお客さんにラメーンって何ですかとかラメーン下さいとかいわれるので隠してしまったんです」とのことであった.そこでNがその看板を譲ってほしい旨を伝えると店員は,店長に相談してくるといって席をはずした.しばらくして店長がやってきて「どうせもう使うこともないですからどうぞ」とあっさりと譲ってくれたのである.以後この看板はNの元に保管されていたが,先日遊びに行ったところ十数年ぶりに発見され感動した次第である.

 注) 公孫樹食堂は我々が看板を譲り受けて間もなく廃業となった.元々学生数の少ない片平キャンパスに2つの学食は多すぎたのである(我々が在学中ですら昼食時には東北大の学生よりも,同じ片平にある東北学院大の学生のほうが多いというウワサがあったほどである).
    
 
 懐かしのラメーン窓口の看板.喜び
に浸る私とN.二人ともすっかりオッサ
ンになってしまった.
 約20年後
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 今から20年前の私とN.上高地の
大正池でのひとコマ.こんな時代も
あったのである.



 

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