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 日本四端

 以前本州四端という記事を書いたのだが,その際によりスケールの大きい日本四端についても触れた.日本は7千近くの島々から構成される島嶼国家であり,その陸地総面積は38万平方キロで世界61位とたいしたことはないものの,経済的主権の及ぶ排他的経済水域(いわゆる二百海里)の総面積は447万平方キロと陸地面積の10倍以上におよび,その広さは世界第7位になる.
 こうした地理的要因があるために日本の四端は広範囲に散っていて,最北端択捉島カモイワッカ岬最東端南鳥島最南端沖ノ鳥島最西端与那国島西崎というのが正式である.これによると,最北端と最南端,最東端と最西端は3000キロ以上もの距離となる(ジェット機で飛んでも4時間くらいかかる).
   
   
 しかしながらこれら四端のうち最北端は現在ロシアの占領下にあり民間人がホイホイ行くことはできない.また最東端の南鳥島は絶海の孤島であり,海上自衛隊と気象庁の職員が常駐しているとはいえ,一般人の上陸は認められていない(小笠原村や東京都の議員が視察に行ったという記事は見たことがある).さらに最南端の沖ノ鳥島は波の浸食によって島自体が存亡の危機にあり,それこそ護岸工事の関係者にでもならなければ行くことは不可能であろう(海上自衛隊や海上保安庁なら近づくことは可能か?).
 そんなわけで真の日本四端のうち民間人が簡単に行けるのは最西端の与那国島西崎だけである.ただ,それではあまりにも夢がないので,それらを代替すべく,民間人でも金とヒマがあれば行ける日本四端(なんちゃって四端とでもいうのか 笑)が用意されている.これが今回のテーマで以下の4か所となる.

  日本最北端 北海道稚内市宗谷岬
  日本最東端 北海道根室市納沙布岬
  日本最南端 沖縄県竹富町波照間島高那崎
  日本最西端 沖縄県与那国町西崎

 尚,沖縄を除いた主要4島(本土)に限局した四端を本土四端と表現することもあり,この場合は最南端が鹿児島県南大隅町佐多岬,最西端が長崎県佐世保市の神崎鼻となる(最北端と最東端は同じ).
   
     
 

1.日本最北端 宗谷岬 北緯45度31分 東経141度56分

 
 
 日本最北端の宗谷岬は北海道最北の自治体稚内市にある.稚内には兜の二本の角のように宗谷海峡に突き出した2つの岬があり,最北端の宗谷岬はこのうち東側である(西側がノシャップ岬).稚内の市街地から国道238号線を海沿いに約30キロ東進した場所にあり(途中に稚内空港がある),岬とはいうものの海に突き出した尖った地形ではなく湾曲したカーブの頂点となっている.公共交通機関利用の場合はJR稚内駅から宗谷バスで約1時間である(宗谷バス時刻表).
 岬周囲は断崖絶壁ではなく,かなり開けていて原野が広がるのどかな雰囲気である(キタキツネが結構いる).かつては樹木もあったらしいが明治期の火事で焼失したとのことだ.国道沿いに広い駐車場があり,ここから海の方に三角形をした巨大なモニュメントが見える.これが日本最北端の碑である(日本最北端の地と書いてある).周辺にはたくさんの土産物屋が立ち並んでおり,特に一番北側に立地している柏屋は「日本最北の土産物屋」を謳っている(この柏屋には本物の流氷が展示され,マイナス10℃を体験できる流氷館も併設されている).またそれ以外にも「日本最北の食堂」,「日本最北のガソリンスタンド」など,日本最北を謳う物件が目白押しである.

駐車場から灯台を望む

丘陵から岬を望む

旧海軍の望楼
 
 最北端関連以外では樺太探検で有名な間宮林蔵の銅像や,日露戦争直前にこの海域を通行するロシア船を監視するために当時の海軍が設置した望楼,宗谷岬灯台,第二次世界大戦中にこの地で交戦し戦没した兵士らの慰霊碑,1983年の大韓航空機撃墜事件の慰霊碑なども設置されている.
 宗谷岬といえば作詞・吉田弘,作曲・船村徹による同名の歌が存在する.かつてNHKのみんなのうたでも取り上げられたことがあるので知っている人も多いだろう.現在は最北端の碑近くに音楽碑があってスイッチを押すとこの歌が流れる趣向になっているが,今世紀の初めごろまでは岬に行くとこの曲がスピーカーからエンドレスに流れていて,旅の風情が損なわれていた思い出がある.
 いずれにせよ,空港から近く主要国道そばにあるという立地条件の良さもあって,日本四端の中では圧倒的に観光客が多く,シーズン中ともなれば大型観光バスがひっきりなしにやってきて大賑わいとなっている.
 (訪問日 1983年3月,1984年8月,1994年8月1日,2014年7月21日)
 

記念撮影

間宮林蔵の像

キタキツネ
 
 
 
 


2.日本最東端 納沙布岬 北緯43度23分 東経145度48分

 
 
 本来の日本最東端である南鳥島は絶海の孤島で(なにせ周囲1000キロ以内に他の陸地がない!),海上自衛隊と気象庁の駐在員はいるものの,一般人の上陸が認められていない.一方でそれに続く最東端は最北端同様北方領土の択捉島であり,ここもまた民間人の訪問は困難である.そんなわけで,一般に日本の最東端といった場合には北海道東部,根室半島の最東端に位置する納沙布岬を示すことが多い.行政区分上は根室市に位置する.
 根室市の中心部から海沿いに根室半島を一周する道道35号線で20キロほど離れた場所になる.道道35号線は市内から根室湾沿いの北ルートと太平洋岸沿いの南ルートがあるが,どちらから行っても距離的には大差がない.北ルートの途中には日本100名城のひとつ根室半島チャシ跡群がある.一方で公共交通機関利用の場合はJR根室駅から根室バス納沙布線で45分であり,こちらは南ルートとなる(根室バス時刻表).
 納沙布岬は宗谷岬とは違って,尖った陸地の先端になっており,いかにも端っこという感じである.周囲も断崖と呼ぶほどの高さはないが,ごつごつした岩場に波が打ち付けられているさまは最果てムード満点である.納沙布岬を含む根室半島は特に夏,霧に覆われることが多いため,付近を航行する船舶の安全を守るために灯台(納沙布灯台)が設置されている(霧時には霧笛と呼ばれる音を出して船に位置を知らせている).

北方領土返還を願うきぼうの鐘

納沙布灯台

四島のかけはし
 
一方で納沙布岬はわずか3.7キロ先に北方領土の貝殻島があり,ロシアの警備艇を肉眼で見ることができる事実上の国境の地である.このため当地には北方領土返還運動に関連した資料を紹介する北方館 望郷の家や返還を願うモニュメントが多数設置されている(最東端の碑もこうした北方領土返還運動との兼ね合いもあるのか,日本最東端ではなく本土最東端と表記されている).また岬の沖には座礁したロシア船が錆び付いた状態で放置されており,当地の厳しい雰囲気を示している.
 納沙布岬は,根室駅からのアクセスは悪くないものの,最寄りの空港(中標津空港)が遠いこと,そもそも鉄道利用の場合札幌から6時間かかること(特急が走っているのは釧路までで,そこからは普通列車で2時間)からか,最北端の宗谷岬に比べると観光客の数は少ない.
 (訪問日 1983年3月,1984年8月,1994年8月3日,2007年9月8日,2020年2月3日)
 
 
 
 
 

記念撮影

朽ち果てたロシア船


当地の名物,花咲ガニの
鉄砲汁
 


3.日本最南端 高那崎 北緯24度2分 東経123度48分

 
 最初に述べたように本当の日本最南端は沖ノ鳥島で,南緯20度25分と日本の領土では唯一北回帰線よりも南に位置するのだが,波の浸食もあって満潮時の面積はワンルームマンション以下になっているのが現状だ.このため飛行機で乗り付けたり,観光船で訪問して上陸なんてのは絶望的で,今のところ一般人が訪れるのは不可能である.そんなわけで民間人が普通に行ける最南端となっているのが八重山諸島最南端に位置する波照間島の高那崎である(沖ノ鳥島を別にすれば南鳥島も南硫黄島もここより北になる).ちなみに波照間というのは現地の方言でパティローマ(最果てのうるま)の当て字である(ローマといってもローマ帝国とは関係ない 笑).
 そんな波照間島はサンゴ礁性の島であり高い山はなく,全体的に平坦な地形である(最大標高約60メートル).島の北部に船着き場があり,その西側に西の浜と呼ばれる白砂の美しいビーチが広がっている.集落は島の中央にあり,ここにある郵便局や商店が必然的に日本最南端の郵便局や商店となる.集落の周囲にはサトウキビ畑が広がるほか,ところどころに水をためる貯水池が点在している(波照間島には川らしい川はなく水は貴重である).

波照間島高那崎

こちらは最南端平和の碑

断崖です
 
 日本最南端の地は島の南,高那崎という断崖に位置する.ここには日本最南端の碑の他に,日本最南端平和の碑,全国から集められた石で造られた蛇の道もある.ちなみに日本最南端の碑は返還前の沖縄を訪れた学生が作ったといわれ,小ぶりで素朴なものとなっている.波照間島は日本で数少ない南十字星が観察できる場所でもあり,高那崎の東には星空観測センターが立っている.また他の日本四端と同様,ここにも灯台があるのだが,なぜか海のそばではなく島の中央に立っている.
 島へのアクセスは八重山諸島の中心地である石垣島の離島ターミナルから高速船で約1時間である(1日3往復).ただこの航路は外洋を通るため,海が時化ると欠航になってしまうことも多く,日本四端の中では最も到達難易度が高いと思われる(島の東部に波照間空港があり,かつては石垣からの便が存在したが2016年3月現在運休中である).
 (訪問日 2016年3月21日)
 
 
 
 

記念撮影

蛇の道

波照間灯台
 

4.日本最西端 西崎 北緯24度26分 東経122度56分

 
 ここで紹介する日本四端のうち,本当の意味での端っこになるのが日本最西端である(他の3つは真の端っこに民間人が行けないための便宜的な端).場所は八重山諸島最西部にある与那国島の最西端西崎である(西崎は”いりざき”とよむ.一方で島の反対側には東崎もあってこちらは”あがりざき”という.これらは太陽の上がり,入りからきているのだろう).
 与那国島は八重山諸島の一部ではあるが,他の島々から少し離れているためかこの島だけで一つの自治体(与那国町)となっている(他は石垣島が石垣市,その他の島はすべて竹富町).実際にこの島からは沖縄本島はもとより,石垣島よりも台湾の方が近い(石垣まで117キロ,台湾まで111キロ).島へのアクセスは石垣島および沖縄本島からの空路(前者が1日3往復,後者が1往復)および石垣からの定期船が週3便あるだけだ.島には北部の祖納,南部の比川,西部の久部良という3つの集落があるが,このうち空港から車で10分ちょっと行ったところにある久部良集落の港(石垣からの定期船が入港する)を挟んだ対岸の海につ突き出た部分が西崎である.久部良集落からも西崎灯台が良く見える.

西崎灯台と東屋

久部良集落を望む

こちらは国体の採火記念碑
 
  最西端の西崎は久部良集落から車で数分の距離であるが,集落から見てかなりの高台のため徒歩や自転車での訪問は厳しいだろう(与那国島は他の八重山の島々の多くとは違って,珊瑚礁性ではなく火山性の島であり起伏が激しい).
 急な上り坂の終点に駐車場があり(ここには公衆トイレもあるのだが,おそらくはこれが日本最西のトイレだろう),そこから遊歩道を登った先に日本最西端の碑がある.碑は現地の岩石の上に乗ったもの.宗谷岬の最北端の碑ほどは豪華ではないが,最南端や最東端の碑よりは立派である.そばには1987年の海邦国体(第42回国民体育大会)に際してこの地で採火が行われたことを記念する碑も立っている.
 先述のようにここは国境の島であり,この先には島はない.晴れた日には111キロ先の台湾の山々が見えるというが,我々が訪問した日はあいにくの曇り空で見ることはできなかった.またこの日最西端には他に観光客はおらず完全に貸し切り状態,そういう意味では最も静かな四端でもあった.
 (訪問日 2016年3月18日)
   

記念撮影


特産の与那国馬


こちらはヨナグニサンと最小の蝶との比較
 


5.各端の到達証明書

 日本四端の各所には,そこを訪問したことを示す証明書が発行されている(基本的に有料).本州四端の場合はそのすべてを訪問することでもらえる四端証明書があったが,日本四端では残念ながらその種のものはないようだ(本土四端にはある模様).  
 
 
 
 

日本最北端証明書

日本最東端証明書
   

日本最南端証明書

日本最西端証明書
   


 

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