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 ナスカ高原

 ナスカ高原といっても別にナスカの地上絵で有名な南米のことではない(もしそうならこの項は旅行の部屋に入っている).実は国道121号線大峠(山形県米沢市から福島県喜多方市の間)付近の道路の形のことである.なぜここがナスカ高原なのか,以下解説しよう.  

1.キック道

 東北大時代,私やNおよびその仲間の間でしか通用しない用語がたくさんあった.その中のひとつにキック道というものがある.これは道幅が狭く(基本的に1車線.センターラインがあってはいけない),ヘアピンカーブやつづら折れが続出する山岳道路のことである.なぜそれがキック道なのか,話は昭和60年に遡る.   
 当時私と同じクラスにNDという岡山出身の男がいた.彼は古い一軒家を借りて住んでいたが,彼の家には近所の野良猫がよく遊びに来ており,彼もその猫にえさをやったりしてかわいがっていた.その日もえさを貰おうと猫がやって来たのだが,たまたまNDの機嫌が悪く(勉強をしていたらしい.彼は私と違って真面目な学生であった)ニャーニャー鳴く猫に腹をたて,なんと後から急所(その猫はオスだったらしい)を蹴り上げたのである.当然あわれな猫は跳び上がり,ヨロヨロと歩いたかと思うとその場で嘔吐してしまった.そのことから,相手に嘔吐させるキックをNDキックというようになり,そこから嘔吐することをキックというようになった.当時このキックという言葉は東北大学混声合唱団全体に広がり,たとえば新歓コンパで「新入団員の○×がキックしたぞ」という風に使われた.そこからさらに発展し,車酔いでキックしそうになるような道路のことをキック道というようになったのである.このキック道の代表格とでもいうのが国道121号線ナスカ高原である.


2.キック道を求めて

 当時私やNは地図とにらめっこしながら,あちこちの面白そうなキック道を探しては出かけていた.その中でこの国道121号線大峠(私やNはBIG峠と呼んでいた)はキック道区間の長さや道路の曲がり具合でとりわけ愛好されていた.ナスカ高原は山形県米沢市からBIG峠を越えて,福島県側に入ってしばらくした所にある.この付近の道路を国土地理院発行25,000分の1の地図で見るとまるでナスカの地上絵のように見えるのである.こんな面白い形をした道路はあまり見たことがない.

  大きな地図で見る
そしてこれがナスカ高原である.
 注) 現在国道121号線のこの区間には,大峠新道という立派なトンネルが開通したため,ナスカ高原のある旧道は残念ながら廃道となってしまい,もはや車では行くことができない(自転車やバイクならばもしかしたら行けるかもしれないが).

廃動になり閉鎖されてしまった旧国道121号線Big峠

なんとか脇をすり抜けて峠を目指してみたが結局途中で断念した.


 

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