日本史上最初に武家として政権を握ったのは平清盛の平家だが,それを打ち破り京都以外の場所を拠点として本格的な武家政権を打ち立てたのは源頼朝の鎌倉幕府である.頼朝が鎌倉に幕府を置いた大きな理由はそこが父義朝の基盤だったこともあるが,なんといっても最大の理由はここが要害の地だったからだろう.
鎌倉は南は海に面しており,東西北には山が連なっている.このため陸方面から街に入るためには,山を切り開いた切通しと呼ばれる狭い通路を通る必要がある.このため敵の侵入を食い止めるには切通しのポイントを押さえるだけでよく,防御に適した地形だったからだろう.
そんな武士の街鎌倉のメインストリートだったのが若宮大路である.由比ヶ浜の海岸から北上し,北の鶴岡八幡宮に至る1800メートルの参道で,頼朝が都市としての鎌倉建設の第一歩として,自ら陣頭指揮にあたって造営したといわれている.途中に3か所の鳥居があり,由比ヶ浜方向からそれぞれ一の鳥居,二の鳥居,三の鳥居と呼ばれる.
この若宮大路の道路としての特徴が段葛(だんかずら)と呼ばれる構造で,これは道路の中心を一段高くしてその両側に堤を築いて石を置いた道のことである.元々は一の鳥居から三の鳥居までずっと,この段葛になっていたようだが,後世の地震や津波等で破壊され,現在残るのは二の鳥居から三の鳥居までの部分のみである.
現在の若宮大路は鎌倉の目抜き通りとして鶴岡八幡宮参拝の観光客でにぎわいをみせている.特に二の鳥居から三の鳥居間は沿道に土産物屋や飲食店などが立ち並ぶ一方,道路の中央部段葛部分は花が飾られた遊歩道となり,人々を楽しませている. |
若宮大路,南の起点滑川交差点 |
若宮大路南側,一の鳥居が見えます |
歩道橋の上から鶴岡八幡方面を見ます |
二の鳥居 |
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