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 日本の道100選


 24.日光街道(埼玉県草加市)
  〜松並木と遊歩道〜 

 
 文明社会において道路は極めて重要な社会インフラのひとつである.「すべての道はローマに通ず」で有名な古代ローマやインカ帝国など巨大国家の繁栄の礎に は,整備された道路網があった.関ヶ原の戦いに勝利し,事実上日本の支配者となった徳川家康も,国内の道路網の整備に力を入れた.関ヶ原の翌年,1601年には早くも日本橋を起点とする五街道の整備を始めている.五街道のひとつである日光街道は江戸と家康が祀られている日光とを結ぶ重要路線であり,1636年に開通した.現在の路線名でいうと国道4号線 と国道119号線にほぼ一致するが,場所によってはバイパスの完成によって都県道に代わっている部分もある.今回のテーマである草加市日光街道も現在は県道49号線となっている.

爽やかな街道です

街道そばを流れる綾瀬川
 
 草加市内の日光街道のなかで日本の道100選に指定されているのは東武伊勢崎線草加駅から北10分ほど歩いた,札場河岸公園から東京外環道と交差する付近までの1.5キロ区間である.江戸時代,この付近の街道筋にはたくさんの松の木が植えられ,草加松原と呼ばれていた(一説では江戸時代後期の天保年間に植えられ,最盛期には800本以上になったとも).第二次世界大戦後モータリゼーションの発達によって街道をたくさんの自動車が通るようになると,その排ガスによってたくさんの樹が枯死してしまった.しかし地元の人々の熱意によって,車道が西側に移され,再び植樹が行われた結果,今では爽やかな遊歩道としてよみがえり,市民の憩いの場となっている.私が訪問した2014年3月22日は雲一つない晴天で,青々とした松並木を歩いていると,往時の旅人の気分に浸れるのであった.
 (散策日 2014年3月22日)
 

日光街道草加松原


自動車道を跨ぐように架かる百代橋

草加松原の北端

 

顕彰碑
 
顕彰碑の場所 札場河岸公園の北側にあります  


 

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