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 日本の道100選


 1.札幌大通(北海道札幌市)
  〜札幌の道路公園〜 

 
 日本国内には多くの100万都市と呼ばれる大都市が存在する.その多くは江戸時代の城下町や商業都市が母体になったものであるが,北海道札幌市のみは近代以降に開発された新しい都市である(その開基は1868年).
 札幌市が他の巨大都市と大きく異なっている点は,その整然とした都市計画であり,市街地は碁盤の目のように整備されている.市内の住所はあたかも碁石を置くポイントを示すように,縦軸と横軸の数字で表される.
 市街地の縦軸の中心となるのが豊平川で,ここを境に東側が東1丁目,東2丁目となり,西側が西1丁目,西2丁目…と続いていく.一方で横軸の中心となるのが,今回のテーマ大通りである.明治初期の市街地建設当時から,幅60間(約109メートル)という当時としては巨大な通りとして作られ,市街地を南北に分けていた.ここから北に向かって北一条,北二条,南に向かって南一条,南二条となる.ちなみにJR札幌駅が北6条西4丁目,すすきの交差点のニッカウヰスキーの看板があるのが南4条西4丁目となる.
 そんな南北の分岐点となる大通り,開発当初はここを挟んで北側に広がる役所や試験場などの官地と,南側の寺や歓楽街などがある民間地を分ける防火線の役割をになっていた.その後,屯田兵の練兵場や運動場,当地を訪問する皇族や政府高官の宿舎となる豊平館が置かれるなど多目的広場的な使われ方が始まった.大正年間に入ると花壇の造成やや芝生が張られるなど,公園としての整備が進んだ.

園内ではいつも各種イベントが開催されています

大通公園の東端がテレビ塔です

西端は札幌市資料館(旧札幌控訴院)です
 
第二次大戦中は食糧不足から一部が畑にされるなどし,戦後の一時期は進駐軍向けの教会やテニスコートが作られるなどしたが,昭和25年頃から再び公園としての整備が進み,花壇や芝生の他,ハルニレ,ニセアカシア,ライラック等北海道を代表する木々が植樹された.その一方2基の大噴水や高さ147メートルのテレビ等などの構造物も作られている.
 現在の大通公園は東端のテレビ塔から西端の札幌市資料館(旧札幌控訴院)までの1.5キロ区間であり,有名なさっぽろ雪祭りやライラックまつり,YOSAKOIソーランまつりなど各種イベント会場として,市民や観光客の憩いの場としてたくさんの人に愛される場所となっている.
 尚、この札幌大通の顕彰碑であるが,私が訪問した2014年7月19日には本来あるべき場所が工事中になっていたため,碑は撤去されていた.その後再訪した2015年10月2日段階でも工事は続いており,残念ながら2017年1月現在ここの顕彰碑は得られていない.
 (散策日 2014年7月19日,2015年10月2日)
 

園内には花壇も

記念碑も多い

散策する市民
 

顕彰碑は行方不明(2016年10月現在)
 
顕彰碑の場所 大通りと国道36号線の交差地点にあるらしいのだが,工事中のため撤去されていた.    


 

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