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 日本100名城スタンプラリー


 98.今帰仁城


 沖縄県には100名城に選定された城郭が3つあるのだが,そのうち沖縄本島北部にあるのが今回のテーマ今帰仁城である.
 沖縄の歴史において,琉球王国成立以前の14世紀から15世紀は,沖縄本島に3つの勢力が割拠する三山時代であった(北山,中山,南山).このうち,島北部に勢力を持っていた北山の拠点となったのが今帰仁城である.同年代の中国の王朝,明の史書である明実録のよると北山の王として怕尼芝(はにじ)・a(みん)・攀安知(はんあんち)の3人の名前が出てくる.
 北山ら三山はいずれも明と交易をおこなっていたが,時代が下るにつれて徐々に中山の勢力が強くなっていった.そして1416年(室町幕府,四代将軍足利義持の時代)に北山は中山に滅ぼされてしまう.ついで1429年には南山も滅亡,ここに沖縄は琉球王国のもとに統一され,これ以後今帰仁城は琉球王国の北方支配の拠点(監守)となった.
 しかし,1609年に関ヶ原の戦いで西軍についたものの所領を安堵されていた薩摩の島津軍が琉球に侵攻を開始した.島津軍は沖縄本島に橋頭保を築くため,まずは北方の拠点である今帰仁城を攻撃する.鉄砲などの進んだ兵器を持つ薩摩軍の前に琉球側は敗北し,早々に落城となってしまった.その後琉球王国の監守が置かれていたが,1665年に最後の監守が首里城に引き上げられたことから廃城となり,以後は地元の人々の精神的な拠り所として,火神の祠などの宗教的な施設となった.
 2000年に世界遺産に登録されたのち整備が進み,現在では石垣等の復元が進んでいる.一番高いところに位置する主郭(本丸に該当)を中心に,数多くの郭が置か

内地の城郭とは異なる曲線状の石垣

今帰仁城の碑

城の正門にあたる平朗門

平朗門から大庭に向かう参道
 
れその総面積は約8万平方メートルにもおよんでいる(首里城とほぼ同規模).特に外郭に連なる美しい曲線を描いた城壁は,内地の城郭には見られない形式である.
 (登城日 2010年3月27日)
 

参道の先にある広場(大庭)

内地の本丸にあたる主郭

主郭にある火神の祠
 

館の礎石でしょうか?


主郭の先の一段低い部分,志慶真門郭

石垣の先に沖縄の海が

 
 
今帰仁城へのアクセス: 名護バスターミナルから66系統バスにて40分,今帰仁城跡入り口下車(時刻表 本部半島左回りの方が所要時間が短い).その他定期観光バスもあるようです.  

スタンプの設置場所 今帰仁グスク交流センターにあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 整備された公園です.


スタンプ
 


 

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