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日本100名城スタンプラリー
95.岡城
大分県にある100名城は2か所,ひとつは大分市の府内城で,もう一つが今回のテーマ
岡城
である.場所は大分県南部の内陸,阿蘇山にも近い竹田市になる.
岡城は竹田盆地を流れる大野川の支流,稲葉川と白滝川の間に形成された舌状台地を利用して築かれた典型的な山城である.その歴史は源平争乱の時代,12世紀末にさかのぼり,文治元年(1185年)に源頼朝と対立し追われていた弟の
義経
を迎えるために,当地の武将
緒方惟栄
が築城したのが始まりといわれている.その後14世紀,鎌倉幕府が崩壊した後の建武期に,後醍醐天皇方の武将
志賀貞朝
によって拡張され,この頃から岡城と呼ばれるようになったらしい.
以後戦国時代にいたるまで志賀氏の城郭であった(志賀氏は戦国時代まで豊後の地を支配した大友氏の家来筋である).標高300メートルを超える天神山を中心と した城郭は要害を誇り,天正年間の島津氏による豊後侵攻の際もこの岡城のみは島津氏の攻撃をはねかえしたといわれている.しかし文禄2年(1593年)に主家の大友氏が秀吉によって改易になると志賀氏も連座して岡城を離れ,その後は当時播磨にいた
中川秀成
が代わって入封した.秀成は関ヶ原の戦いで最終的に東軍に属して戦ったことから戦後も所領を安堵され,江戸時代にはこの地に置かれた岡藩の初代藩主になる.その後は江戸時代を通じて中川氏の支配するところとなり明治に至るのである.
江戸時代の岡城は岡藩の藩庁として整備された.舌状大地の中心に壮麗な石垣を持つ本丸・二の丸・三の丸の軍事施設が設置される一方,その東西両側に御殿や重臣の屋敷などの居住・行政施設が造られていた.本丸には天守的な性格を持つ御三階櫓も置かれていた(18世紀半ばに倒壊したものの後に再建されたという).
明治後廃城となり,城内の建物はすべて失われてしまったが,石垣や郭などの遺構がよく保存されていて,現在は国の史跡として整備されている.明治期の作曲家
滝廉太郎
が幼少期を過ごしたのがこの地であり,彼の代表作である荒城の月のモデルとなった城郭と言われており,いまでもJR豊後竹田駅構内ではこの荒城の月が流れている(ただ作詞者
土井晩翠
は仙台の出身であり,その点からは城のモデルは同じく山城である仙台城ともとれるような気もする).
(登城日 2011年1月23日)
岡城址入り口
大手門跡(石垣の上部が西洋の城郭っぽいです)
朱印倉跡
三ノ丸の石垣
西中仕切付近
二ノ丸の滝廉太郎像
三ノ丸入り口の太鼓櫓跡
二ノ丸の様子
二ノ丸の空井戸
本丸の石垣
近戸門跡
西ノ丸の角櫓跡
西ノ丸御殿跡
西ノ丸から三ノ丸の石垣を
城の東部,下原門跡
岡城へのアクセス: JR豊後竹田駅から徒歩25分程度です.タクシーなら10分かかりません.
スタンプの設置場所 総役所にある料金所に置いてあります
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) ここもとにかく広いので歩く距離が膨大となります.
スタンプ
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