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 日本100名城スタンプラリー


 92.熊本城


 全国津々浦々に分布している日本100名城.今回のテーマは九州でもっとも有名な城と思われる熊本城である.
 この地に城が築かれたのは室町時代のことだが,当時は規模の小さい砦のようなものだった.それを今に残る大きな城郭として改装したのが有名な加藤清正である.豊臣秀吉の九州征伐後の天正16年(1588年),秀吉から肥後国の北半分を与えられた清正はこの地に入り,城郭の整備に取り掛かった.途中朝鮮出兵による二度の中断を経て完成を見たのは関ヶ原の戦い後のことである.
 熊本城は南の坪井川を天然の堀として北に向かって右に本丸が,左側に二ノ丸,三ノ丸が置かれる,いわゆる梯郭式の城郭になっている.主要部分の本丸は総石垣積みで,大小の天守の他,御殿やたくさんの櫓が置かれていた.その眺めは壮大で天下の名城にふさわしいものである.
 清正は藤堂高虎とならんで築城の名手として知られており,ここ熊本城の石垣にもその特徴が見えている.それが武者返しと呼ばれるもので,地表近くは傾斜が緩やかで上に行くほど急になっていくという,ちょうど放物線をさかさまにしたような構造とし,敵の侵入を防ぎやすいようにしたものである.実戦でも明治10年の西南戦争の際,西郷軍はこの武者返しに阻まれて結局城内に侵入できなかったといわれている.その他めずらしいものとしては,本丸御殿の下にある闇り通路で,下界から天守に向かうには必ずここを通らなければならない構造になっていることである(つまりここに兵をしのばせておけば,確実に敵を仕留めることができる).
 熊本城を築いた加藤氏は清正の子忠広の代に改易となり,代わって細川氏が入封して明治に至った.明治維新後廃城となりその後は熊本鎮台(後の第6師団)の駐屯地となり西南戦争を迎える.西南戦争では西郷軍の包囲を受けたものの,鎮台兵の奮戦で守りきり戦いの趨勢に大きな影響を与えた.この時期の混乱で天守を含む城内の建物の多くが失われたものの,宇土櫓をはじめとする11棟の櫓は何とか現存することができた.第二次大戦後には大小天守や御殿が復元されるなど,かつてのの姿を取り戻しつつあるようだ.姫路城などとともにじっくりと見学したい城郭である.
 (登城日 2009年9月21日)

熊本城大小天守(再建)

西大手門(再建)

宇土櫓(重文)

五郎の首掛け石

不開門(重文)

五間櫓と北十八間櫓
 

源之進櫓(重文)


四間櫓・十四間櫓・七間櫓・田子櫓(重文)

武者返しの石垣

 

平櫓(重文)

戌亥櫓(再建)

未申櫓(再建)
 
     
 
熊本城へのアクセス: JR熊本駅から市電健軍町行き12分熊本城前下車(6〜7分間隔であり)またはJR熊本駅から熊本城周遊バスしろめぐりんにて18分熊本城・二の丸駐車場下車(熊本駅を8時30分から17時まで毎時0分,30分発)   

スタンプの設置場所 本丸の各チケット販売所にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 構内は広いですがそれほどの体力は要しません.


スタンプ
 


 

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