ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

ホーム

海外旅行記録

国内旅行記録

非日常の世界

日常の世界

幕末・新選組の
小部屋

 ”100”の小部屋

学問の小部屋

ビザンチン帝国
とは

アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

 日本100名城スタンプラリー


 89.佐賀城


 佐賀城があるのは佐賀県佐賀市,私のような東日本の人間にとっては,なんとなく地味なイメージの場所だ.東隣りに九州最大の人口を持つ福岡県が,西隣り に観光地として知られ,歴史や演歌にも非常によく取り上げられる長崎県があり,そのメジャー2県に挟まれているというところに原因の一つがあるように思われる.さらに私の世代にとって佐賀県のイメージを下げているもう一つの要因が昭和58年に放送されていた朝ドラ「おしん」の存在がある.東北の山形県の庄内地方(日本海側)出身のおしんが大人になり結婚,その相手の実家が佐賀だったのだが,劇中佐賀でおしんが姑に苛められる場面が出てきたからである.別に姑が意地悪な理由と佐賀とは直接関係ない(別に東京でも大阪でも構わない)のだが,このことで当時全国的に佐賀のイメージが悪化,佐賀の人たちがNHKに抗議の電話をかけたというウワサもある.
 ただ,歴史的にみると肥前佐賀は賢君鍋島閑叟を擁して幕末維新期には薩長土肥の一角を占めるなど結構重要な場所だったりする.また佐賀牛や玄界灘の魚介類など食材も豊富で,有田焼や唐津焼などの焼き物も有名だ.
 もっとも江戸時代には今の佐賀県の地域は北部の唐津藩と南部の佐賀藩に分かれていたので,佐賀城は今で言う佐賀県南部の中心地ということになる.
 佐賀城を築いたのは,戦国時代にこの地域に勢力をのばしていた龍造寺氏で,当時は村中城と呼ばれていた.のちに龍造寺家の実権は重臣の鍋島氏に移り,江戸時代に入って慶長12年(1607年)に龍造寺氏が断絶し,鍋島氏が正式に佐賀藩主になった.この時代から佐賀城の本格的な改築が行われた.
 佐賀城は典型的な平城で,周囲をほぼ正方形の広い濠で囲まれていた.本丸には五層の天守が置かれ,

佐賀城の現存する建築物,鯱の門と続櫓(重文)

本丸の石垣

佐賀城の天守台

巨大な濠です
 
その威容を誇っていました.しかし江戸中期の享保年間に火災により焼失し,以後再建されることはなかった.
 明治後廃城となったが,明治7年(1874年)の佐賀の乱ではここが戦場となり,多くの建物がこの時に焼失したという.現在は佐賀城公園となり,鯱の門と続櫓それに石垣の一部が現存している他,本丸御殿が再建され佐賀城本丸歴史館となっている.
 (登城日 2010年5月23日)
 

本丸の様子

本丸御殿(再建)

御殿の内部
 
 
佐賀城へのアクセス: JR佐賀駅バスセンターからバス(6)佐賀城跡線または(25)広江・和崎線,佐賀空港線,どちらも10分前者は佐賀城跡バス停,後者は博物館前バス停下車です.駅から徒歩の場合30分ほどかあります.   

スタンプの設置場所 本丸御殿の受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) よく整備された公園です


スタンプ
 


 

 トップページに戻る   日本100名城トップへ