佐賀城があるのは佐賀県佐賀市,私のような東日本の人間にとっては,なんとなく地味なイメージの場所だ.東隣りに九州最大の人口を持つ福岡県が,西隣り
に観光地として知られ,歴史や演歌にも非常によく取り上げられる長崎県があり,そのメジャー2県に挟まれているというところに原因の一つがあるように思われる.さらに私の世代にとって佐賀県のイメージを下げているもう一つの要因が昭和58年に放送されていた朝ドラ「おしん」の存在がある.東北の山形県の庄内地方(日本海側)出身のおしんが大人になり結婚,その相手の実家が佐賀だったのだが,劇中佐賀でおしんが姑に苛められる場面が出てきたからである.別に姑が意地悪な理由と佐賀とは直接関係ない(別に東京でも大阪でも構わない)のだが,このことで当時全国的に佐賀のイメージが悪化,佐賀の人たちがNHKに抗議の電話をかけたというウワサもある.
ただ,歴史的にみると肥前佐賀は賢君鍋島閑叟を擁して幕末維新期には薩長土肥の一角を占めるなど結構重要な場所だったりする.また佐賀牛や玄界灘の魚介類など食材も豊富で,有田焼や唐津焼などの焼き物も有名だ.
もっとも江戸時代には今の佐賀県の地域は北部の唐津藩と南部の佐賀藩に分かれていたので,佐賀城は今で言う佐賀県南部の中心地ということになる.
佐賀城を築いたのは,戦国時代にこの地域に勢力をのばしていた龍造寺氏で,当時は村中城と呼ばれていた.のちに龍造寺家の実権は重臣の鍋島氏に移り,江戸時代に入って慶長12年(1607年)に龍造寺氏が断絶し,鍋島氏が正式に佐賀藩主になった.この時代から佐賀城の本格的な改築が行われた.
佐賀城は典型的な平城で,周囲をほぼ正方形の広い濠で囲まれていた.本丸には五層の天守が置かれ, |
佐賀城の現存する建築物,鯱の門と続櫓(重文) |
本丸の石垣 |
佐賀城の天守台 |
巨大な濠です |
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