あまり縁がない身分であるし,そもそも龍馬が歴史の表舞台に登場するのは,脱藩後のことだからだ.
そんな高知城を作ったのは,功名が辻で知られる山内一豊である.元々高知城のある場所には南北朝時代から大高坂山城と呼ばれる城があった.戦国時代になるとこの地は長宗我部氏の支配するところなり,天正19年(1591年)に長宗我部元親は大高坂山城ではなく,より海に近い浦戸に城を築きそこに移っている.
しかし,慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで長宗我部氏は西軍に与したため,戦後改易となり,代わって山内一豊が掛川から移封されてきたのであった.この時以来土佐藩では一豊とともに掛川からやってきた家臣が上士として,旧長宗我部家臣の郷士を支配する体制が出来上がり幕末に至る(幕末期に土佐藩が,藩主は佐幕的なのに下級武士が反幕的なのはこの辺に原因がある).一豊は長宗我部氏の居城だった浦戸から再び大高坂山城に移り,これ以後高知城として土佐藩の中心地となっていった.
そんな高知城だが,明治の廃城後も天守や御殿など多くの建造物が保存された.天守と本丸御殿が共に残っているのはここ高知城だけである(高知城の本丸はほぼ昔のままそっくり残っている).そのほかにも追手門・黒鉄門などの門,櫓など15棟が国の重要文化財に指定されている.
現在高知城は公園として整備され,市内の観光スポットとして賑わっており,特に追手門と天守が一望できる場所は絶好の写真スポットとしてしられている.私が登城した時,ちょうど石垣の改修が行われていた.
(登城日 2006年9月19日,2009年1月9日) |
本丸の石垣 |
詰門(重文) |
雨水を逃がす石樋 |
鐘撞堂 |
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