れた.慶長13年(1608年)に高虎が伊勢の津藩主として転出すると,代わって富田信高が入城したものの短期間で改易され,結局慶長19年(1614年)に伊達政宗の長男秀宗が10万石で入封し,伊達宇和島藩が立藩された.秀宗は政宗の長男であるが側室の子だったため伊達本家を継ぐことができず,政宗と2代将軍徳川秀忠の計らいで宇和島藩主となったものである.ただし同じ伊達姓ではあるが,この宇和島藩は仙台藩の支藩ではなく,れっきとした独立の大名であった(とはいえ本家筋の仙台藩とは江戸時代を通じて種々の諍いがあったらしい).
その後江戸時代を通じて宇和島藩は伊達家の領国となり幕末に至る.幕末期の藩主が俗に四賢侯の一人に数えられる伊達宗城である.
宇和島城は宇和島市の中心部の丘陵地帯に建つ平山城で,その外郭は五角形をしている.山頂に本丸とその周囲を囲むように二ノ丸があり,その北西側の山腹に藤兵衛丸・長門丸が,南西部に代右衛門丸が,さらに北東部の山麓に三ノ丸が置かれていた.宇和島城は今でこそ内陸に建つ城に見えるが,当時は海岸線が今よりずっと内陸に迫っていたため城郭の北側と西側は直接海に面しており,当該部分の堀には海水を引くなど海城の面もあったという. |
桑折氏武家長屋門 |
井戸丸跡 |
三ノ門跡と石垣 |
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明治維新後廃城となり,以後多くの建物が解体され,堀もすべて埋め立てられてしまったが,寛文11年(1671年)に改修された天守が現存しており,その他門や石垣などから往時をしのぶことができる.
(登城日 2009年1月12日) |
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長門丸入り口の雷門跡 |
本丸に向かう道 |
本丸の御台所跡 |
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市街地と宇和海を望む |
二ノ丸から見た天守 |
上り立ち門 |
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