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 日本100名城スタンプラリー


 77.高松城


 讃岐の国の中心にして,香川県の県庁所在地である高松は瀬戸内海に面した城下町である.かつては本州と四国を結ぶ宇高連絡船の入港地であり,現在も岡山から瀬戸大橋線の列車が次々とやってくる交通の要衝でもある.
 そんな高松であるが,集落としては弥生時代から存在し,飛鳥時代には近くの屋島に砦が築かれたりしていたが,城下町として発展し始めたのは16世紀末の安土桃山時代からである.豊臣秀吉による四国征伐後の天正15年(1587年)に生駒親正が讃岐一国を与えられてこの地に入ったことから始まる.翌天正16年から高松城の建設が始まり天正18年に完成したのだった.
 生駒氏は関ヶ原の戦いで東軍についたことから戦後所領を安堵されたものの,寛永16年(1639年)にお家騒動から改易となり,以後讃岐は東西に分割され,西側には新たに丸亀藩が立藩された.こうして高松藩は讃岐の東半分を領有する藩となり,水戸黄門こと水戸光圀の兄,松平頼重が入城,以後江戸時代を通じて幕末期まで松平氏による支配が続くことになった.
 明治維新後廃城となり,天守を含む多くの建物も破却されてしまった.しかし一部櫓などが存続し,これらは第二次大戦後に国の重要文化財に指定されることになった.それ以降城跡は公園として整備され,現在に至っている.
 瀬戸内海に面した高松城は水城として知られており,特に外堀,中堀,内堀の水は瀬戸内海の海水を引き込んで利用している.内堀に浮かぶ天守台には 三重五層の天守が江戸時代を通じて建っていた.明治維新後破却されてしまったものの,古写真などの資料が残っていることから,再建を目指す動きもあるようだ.その他遺構として艮櫓月見櫓渡櫓水手御門が重要文化財に指定されている.一方で三ノ丸には大正年間に竣工した松平家の高松別邸である披雲閣がある.
 尚,高松城というと岡山県にある備中高松城も歴史的に有名で,これと区別するために讃岐高松城と呼ぶこともある.
 (登城日 2009年1月9日)

月見櫓(重文)

天守と二の丸を結ぶ鞘橋

艮櫓(重文)

水手御門と渡櫓(重文)

披雲閣(大正年間に造られた松平家の別邸)
 

海水を引き込んだ堀

桜御門跡

天守台(現地の写真より)
 
 
高松城へのアクセス: JR高松駅から徒歩5分程度で西入口です.   

スタンプの設置場所 玉藻公園東西2か所の入り口にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です


スタンプ
 


 

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