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 日本100名城スタンプラリー


 69.鬼ノ城


 岡山県にある100名城は4か所,そのうちで唯一の古代城として知られるのが鬼ノ城である.古代城というのは主に古墳時代から平安時代にかけて築かれた城郭をいう.日本100名城としては東北地方の多賀城,九州にある大野城,そして今回のテーマである鬼ノ城がある.
 このうち東北の多賀城は大和政権の律令国家が東北地方に勢力を伸ばす過程で築かれた出先の城であるが,大野城と鬼ノ城は古墳時代の7世紀,663年に起こった白村江の戦いで敗北した天智天皇が,大陸からの侵攻に備えて国土防衛のために造らせたといわれている.ただ,九州の大野城は日本書紀にそのような記述があるので確実とされるが,この鬼ノ城については文献的に裏付ける資料がないとされている.
 鬼ノ城は現在の岡山県総社市にある鬼城山の山頂の周辺を一周3キロ近くにわたって石垣や土塁で取り囲んだ構造となっている.城壁の所々には人や物資が出入りする門や城内の水を管理するための排水口である水門が造られていた.また城壁の内部には居住空間や倉庫などの建物の跡も残されている.
 鬼ノ城という名称であるが,当時朝鮮半島において新羅に滅ぼされた百済国の王子(その名を温羅という)がこの地にすみつき,往来の物資を略奪するなどの狼藉を働いたため,恐れおののいた地元民がここを「鬼が住む城」という意味でそう呼んだという伝説があるらしい(これが桃太郎伝説の原型といわれる).
 7世紀当時国内では大陸からの侵攻が真剣に心配されていたが,唐や新羅は当時朝鮮半島北部にあった高句麗への攻撃を優先させたこと,さらには肝心の唐王朝の宮廷内部に,いわゆる武韋の禍と呼ばれる政変が起こったために現実となることはなく,幸いにもこの鬼ノ城が実戦で使われることはなかった.

鬼ノ城全体模型

復元された西門付近

お祭りの櫓のようです

礎石建物群
 
 その後大陸の脅威が薄れるにつれて忘れ去られた城となり,歴史の中に埋もれていった.
 しかし,1970年代から調査が始まり1986年には国の史跡に指定され,西門を中心とした復元も行われている.
 (登城日 2011年1月25日)
 

鬼ノ城を取り囲む土塁

下界の眺め

屏風折れの高石垣
 

南門

北門

こんなところに石垣が
 
 
鬼ノ城へのアクセス: JR総社駅から車で20分.公共交通機関がないのでタクシーまたはレンタカー利用となります.最寄駅はJR吉備線の服部駅ですが,歩くとどれだけかかるかは不明です.   

スタンプの設置場所 鬼ノ城入口にある鬼城山ビジターセンターにあります.

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 城内は広く,各史跡が点在しているため結構歩くことになります.


スタンプ
 


 

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