岡山県には合計4か所の100名城が存在するが,県の内陸部,中国山地の山間に位置しているのが津山城である.岡山県の中国山地の山間というと,日本を代表するミステリー作家,故・横溝正史氏がしばしば舞台として取り上げていた地域である(八ツ墓村,悪魔の手毬唄等).中学生頃から氏の作品が好きだった私にとって一度は訪れてみたかった土地である.岡山県北部地方は旧名でいうと美作国になるが,江戸時代に美作国にあったのが津山藩で,その藩庁だったのが津山城である.
美作国は古来その地域を中心とする強い勢力がなかったこともあり,常に周辺諸勢力がせめぎ合う最前線となっていた.そんな美作を初めて安定的に支配したのが関ヶ原の戦いで東軍勝利に大きな貢献をした小早川秀秋であった.彼は戦の功績によって備前・美作55万石の大大名となったからである.しかし彼の本拠は岡山城だったので,この段階ではまだ津山城は存在していない.慶長7年(1602年)に秀秋が急死し,小早川家が無嗣改易となると彼の領地は分割され,その美作部分が織田信長の小姓として有名な森蘭丸の弟,森忠政に与えられた.そしてこの美作を中心とする津山藩の藩庁として新たに築かれたのが津山城ということになる.慶長8年(1603年)から元和二年(1616年)まで足かけ14年かけて建設された.
津山城は津山盆地の中心にある鶴山に築いた平山城である.山頂部分に本丸を置き,その周辺を二の丸,さらにその外側を三の丸とした輪郭式構造になっている.各々の外郭は高い石垣で囲まれ,遠方からは三段に構えられた壮麗な石垣を望むことができる.本丸の天守台には五層の壮大な天守閣が置かれ,各所には合計60棟の櫓があったといわれている(この櫓の数は広島城の76棟,姫路城の61棟についで全国3位なのだという). |
再建された備中櫓 |
三ノ丸から二ノ丸へ |
表鉄門跡 |
天守台からの眺め |
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