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日本100名城スタンプラリー
66.津和野城
島根県の西の端,中国山地の盆地に位置する津和野は,全国各地にある”
小京都
”と呼ばれる街の代表的存在である.この地が観光地として有名になったのは,1970年代のいわゆる”
アンノン族
”と呼ばれた,当時20代だった女性の個人旅行客が大挙して訪れた頃からといわれている.
とはいえ(当然だが)津和野自体はそれ以前から存在していたわけで,その歴史は古く鎌倉時代に遡る.鎌倉時代の日本を揺るがした元寇,その二度目にあたる弘安の役の直後に,日本海の沿岸警備の目的で派遣された吉見氏がこの地に城を築いたのが始まりとされている.
以来津和野の地は吉見氏の支配するところとなっていた.戦国時代になると吉見氏は当初は中国地方で大きな勢力を誇った大内氏の,ついでそれに取って代わった毛利氏の支配下に入っていた.しかし関が原の戦いの結果,毛利氏が萩に移るとともにこの地を去り,以後は徳川幕府によって坂崎氏,元和年間には亀井氏が封じられ津和野藩として江戸時代を送ることになる.
津和野城は津和野盆地の南西部にある標高370メートルの山(霊亀山)の上に築かれた山城である.本丸を中央として東に二ノ丸が,西に三ノ丸が置かれる全体として三角形のような縄張りをもっている.江戸時代はじめ坂崎氏の時代には出丸や天守も築かれたが,貞享三年(1686年)落雷で消失,以後天守が再建されることはなかった.藩庁も太平の時代には山上ではなく山麓に置かれていたようである.
明治維新後廃城となったのは全国の他の城郭と変わらない.その間には長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンの悲劇などのエピソードも知られている.
津和野城の出丸
山の中に多くの石垣が遺されており,まさに荒城といった趣です
西門跡
本丸の石垣
現在は先述のように山陰の小京都として,多くの観光客でにぎわう土地となっている.津和野城へは津和野駅前からレンタサイクル,ロープウェイを利用しての登城が便利であろう.
(登城日 2008年10月4日)
山上からの津和野市街
山陰の小京都津和野
鯉の似合う街です
津和野城へのアクセス: JR津和野駅からレンタサイクルがお勧めです(荷物も預けられます).レンタサイクルで10分ほどでロープウェイ乗り場へ,そこから5分で城郭です.
スタンプの設置場所 ロープウェイの券売所にあります.
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません)
ロープウェイを使って楽に城郭へ登ることができます.
スタンプ
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