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 日本100名城スタンプラリー


 65.月山富田城


 戦国時代に守護の京極氏から下剋上によって出雲の支配権を奪ったのが守護代の尼子氏である.その尼子氏の本拠として知られているのが今回のテーマ,月山富田城となる.
 富田城は島根と鳥取の県境の島根側に位置する安来市(安来節で有名)の内陸部にある月山(私のような東北人には山形県の同名の山のイメージが強いのだが)に築かれた山城である.難攻不落の城と言われており,天文11年(1542年)から翌年にかけての大内・毛利連合軍による攻撃を撃退し,また最終的に尼子氏が滅亡に至った毛利氏との最後の戦いでも3年もの間包囲戦に耐えたことからもその堅固さがしのばれる.
 尼子氏滅亡後は毛利氏,その後堀尾氏のものとなったが,堀尾氏によって松江城が築かれ居城がそちらに移ると,まもなく廃城となった.現在は国の史跡に指定されているものの,当時の建物は全くなく,遺構として石垣や郭だけが遺されており,当時をしのばせている.
 スタンプのある歴史資料館の先にある細い道を登って行くと太鼓櫓,奥書院平などを経て山中御殿があった広い平地に至る.ここからは七曲りと呼ばれるつづら折れの急な登り坂になり,そこを15分ほど登ると三の丸,二の丸,本丸の見事な石垣が登場するのだった(二ノ丸を取り囲むように三ノ丸の石垣が並び,巨大な堀切を経て一番奥に本丸が広がっている).
 私が訪問した日,城跡近くでちょうど戦国尼子フェスティバルが開催されており,模擬店や甲冑姿の武者らが多数歩いていた.模擬店では出雲そばも売られており,見たらちゃんと割子に入っていたのが感動的である.
 (登城日 2008年10月26日)

花ノ壇から見た月山の全容

城の山麓部の中心となる山中御殿跡

山中御殿最深部

山中御殿からはこのように急激なつづら折れの登山道になります.ここは井戸跡です.
 

三ノ丸から二ノ丸を石垣を

三ノ丸の石垣

本丸
 

本丸からの展望

本丸奥の勝日高守神社

山中鹿之助像
 
 

月山富田城へのアクセス: JR安来駅からイエローバス広瀬−米子線,広瀬バスターミナル行きで20分市立病院下車(200円),そこから徒歩10分川の反対側に歴史資料館があります.またイエローバスは米子駅からも出ているので,米子から直接バスで行くことも可能です(イエローバス時刻表).

 

スタンプの設置場所 歴史資料館の受付にあります(声をかけると出してくれます).

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山中御殿までの道は大したことがありませんが,その後の七曲りは結構きついです.


スタンプ
 


 

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