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 日本100名城スタンプラリー


 64.松江城


 松江は島根県の県庁所在地で同県のほぼ東端に位置し,鳥取県西部の主要都市米子市とは電車で30分ほどの距離にある.宍道湖と中海に挟まれた地形であり,水の都としても知られている.
 松江を含む出雲の国は,それこそ古事記・日本書紀の時代から登場する伝統ある土地柄である.室町時代には守護京極氏の支配する土地だったが,戦国時代になると守護代の尼子氏 が台頭,尼子経久の代にこの地域の実権を京極

松江城天守(重文)
 
氏から奪いとった.しかし尼子氏の時代も長くは続かず,安芸に興った毛利氏によって滅ぼされ,その勢力圏に入り,豊臣政権時代もそのまま毛利領となっていた.
 しかし関ヶ原の戦いの結果,毛利氏が周防・長門の2か国に縮小すると,代わって遠江から堀尾忠氏が入り松江藩が成立した.当初藩庁は尼子氏以来の月山富田城に置かれていたがで,戦国時代の要塞である富田城は政治を行うには不便な
 
土地であり,まもなく今の松江の地に城と城下町が建設されることになった.
 松江城は宍道湖の北東岸にある亀田山(標高28メートル)を中心に築かれた平山城である.本丸を中心に北側に北の丸,西から南へ取り囲むように二ノ丸が,二ノ丸から堀を挟んで南側に三ノ丸が置かれていた.堀の水は宍道湖からひかれていた.
 江戸時代,松江藩の藩主は堀尾氏から京極氏を経て,寛永15年(1638年)に松平氏へと代わりそのまま幕末に至る.
 明治維新後は廃城となり多くの建物が破壊されたが,天守のみは奇跡的に破壊を免れて保存され,現在に至っている(現在天守は国の重要文化財に指定されている).城跡は松江城山公園として整備され,現在では櫓や門なども復元され,周辺にある武家屋敷などとともに街を代表する観光名所となっている.
 私が訪ねた2008年10月25日は午後から晴れ上がり,秋の涼しい気候の中快適に探索することができた(特に鳥取城の後に行ったためか,余計楽に感じた).特に城の西側は観光客も少なく,当時の風情をより感じることができた.
 (登城日 2008年10月25日,2009年10月24日)

一ノ門

天守と石垣

南櫓(左)と中櫓(右)
 

三ノ門跡と石垣

大きな堀

天守から宍道湖を見る
 
     
     
 
松江城へのアクセス: JR松江駅前7番バス停からレイクラインで松江城下車すぐ(1時間に3本程度 時刻表),または1番バス停市営バス北循環外回りで10分県庁前下車徒歩5分です.   

スタンプの設置場所 天守の受付にあります(声をかけると出してくれます).

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.


スタンプ
 


 

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