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 日本100名城スタンプラリー


 63.鳥取城


 鳥取市は城下町なのだが,鳥取というと鳥取砂丘のイメージが強烈すぎて,鳥取の街自体はなんとなく地味な印象がある.そんな城下町鳥取の中心だったのが鳥取城である.
 鳥取城の歴史は戦国時代にさかのぼり,因幡の守護山名誠通が天文年間(1540年頃)に築いたのが始まりとされている.
 今の鳥取市街地の北東に位置する久松山を利用して築かれた典型的な山城であった.因幡山名氏の支城として武田氏が城番として入っていたが,永禄年間(1560年代)に武田高信が毛利氏と組んで独立,以後は毛利・武田と山名・尼子の両勢力による激しい争奪戦の地となる.天正3年(1575年)にこの戦いは毛利氏の勝利に終わりるが,その後織田信長の勢力がこの地に及び,今度は毛利・織田両勢力の最前線となった.取ったり取られたりの攻防の末,決着を付けたのが豊臣秀吉であった.天正9年(1581年)夏,秀吉は2万の大軍でこの城を包囲する.このとき城兵は4千人程度だったといわれている.
 この時秀吉は力攻めはせず,城を完全包囲しての兵糧攻めを行った(事前に商人を送り込んで現地の米を買い占めるなどの策略も行っていた).4ヶ月の包囲戦で兵糧がなくなった城内では餓死者が続出,その惨状に耐えかねた城主吉川経家は開城を決意,自らは切腹して果てたのであった.
 関が原の戦い後は豊臣系大名で武断派の池田輝政の家系が入り,一族内での多少の異動はあるものの(池田氏はここ鳥取以外に岡山にも立藩していたため)幕末まで続いていくことになる.江戸時代には要害としての城は不要になったため,山麓に新たに城郭が作られた.
 明治維新後廃城となり当時の建築物はすべて破却されてしまい,現在は石垣や堀などの遺構があるだけとなったが,鳥取城は中世城郭としての山頂部と近世城郭としての山麓部という異なる時代の遺構が同時に見られる城となっている.
 尚,鳥取城については古写真や古絵図が遺されており,将来的に江戸時代の姿を復元しようという計画があるとのことである(現在は城門のみ復元されている).
 (登城日 2008年10月25日,2009年10月24日)

下界から山上の丸を見る

鳥取城の堀

再建された門

二ノ丸古写真(左に写っているのが御三階櫓)

御三階櫓台
 
     

二ノ丸の石垣

山上の本丸

山上の天守台
 

山上から市街の眺め

麓にある仁風閣

吉川経家像
 
 
鳥取城へのアクセス: JR鳥取駅からバスで約10分西町バス停下車(バスはたくさんあります)徒歩5分,あるいはループ麒麟獅子Aコースで8分鳥取城跡バス停下車(1日6便)すぐです.  

スタンプの設置場所 鳥取城そばに建つ仁風閣の受付にあります(声をかけると出してくれます).

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山上の丸まで登ると結構な運動になります(約20分)


スタンプ
 


 

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