奈良県にある唯一の100名城が高取城である.奈良県の城郭というと豊臣秀吉の弟秀長の居城だった大和郡山城などもあるのだが,日本100名城に指定されたのは高取城である.
標高583メートルの山頂に築かれた典型的な山城で,城郭の総面積は6万平方メートル,城内だけでも1万平方メートルにも達する広さを誇っている.岩村城・備中松山城と並び3大山城とも呼ばれている.
高取城の歴史は南北朝時代にさかのぼるといわれ,この地の豪族越智氏によって築かれたのが始まりとされている.以後長らく越智氏の支配が続き,戦国時代には一向一揆勢に包囲されるなど実戦も潜り抜けた(享禄・天文の乱).その後織田信長が畿内に進出してくると,その勢力下に入った.信長没後は洞ヶ峠で有名な筒井順慶によって改修が行われ,その後この地に入った本多利休によって今に残る城郭が整備された(天正年間 16世紀末).関ヶ原の戦いに際して利休の子俊政が東軍についたことから,戦後加増を受け江戸時代には高取藩の居城として幕藩体制に組み込まれた.江戸時代初期に本多氏は改易となり(跡継ぎがいなかったため),その後は植村氏が藩主となり幕末までその支配が続いた.
明治維新後廃城となり建物は全て失われてしまったが,山奥にあったのが幸いし石垣などの遺構はそっくりそのまま保存されて現在に至っている.
往年の高取城は山頂にそびえる天守をはじめ,27の櫓と33の門を有する壮麗な城郭だったという(明治初期の古写真からも当時の様子がしのばれる).特に下界から本丸を目指した場合,たくさんの門をくぐっていかねばならず,攻める側にとってはまさに難攻不落の要塞であった(関ヶ原の戦いの前哨戦において,高取城は石田光成の軍勢に攻められたものの撃退に成功している).
高取城をCGで再現したサイト
(登城日 2010年1月11日) |
三大山城「高取城」 |
高取城の参道 |
二ノ門跡 |
千早門跡 |
大手門跡 |
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