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 日本100名城スタンプラリー


 60.赤穂城


 兵庫県西部に位置する赤穂市は,JR西日本の新快速電車の西の終着駅(播州赤穂駅)でもあるのだが,この街を全国区にしているのはなんといっても忠臣蔵・赤穂浪士の存在によってである.江戸時代にはこの地は赤穂藩となっており,その中心地だったのが赤穂城ということになる.藩主は江戸時代初期には池田氏,その後浅野氏,永井氏,森氏と移っていくが,その石高はほぼ5万石で一定でった.日本100名城シリーズに登場する近世城郭を所有する藩としては規模の小さい藩である(信州の高遠藩,小諸藩などが同規模).しかしこの赤穂城,5万石のお城にしては規模が大きく,それがため歴代藩主は財政難に苦しんだという.今に至る名産品である塩も,こうした財政難から生まれたと考えられる.
 赤穂藩といえば条件反射的に浮かんでくるのが忠臣蔵の浅野内匠頭長矩であるが,実は260年に及ぶ江戸時代の中で浅野氏がここを納めていたのは50年程度に過ぎない.それでも赤穂=浅野,忠臣蔵のイメージが強いのは,それだけあの事件が強烈な印象となって人々の記憶に残っているということなのであろう.
 そんな赤穂城,中心に本丸,それを二ノ丸が同心円状に取り囲み,その二ノ丸の北に三ノ丸が隣接する縄張りになっている.平地に造られた典型的な平城だが,一方で山鹿流の甲州軍学を採用した城として知られ,それがために複雑に入り組んだ石垣など実戦を強く意識した構造になっている.赤穂城が実戦に使われることはなかったものの,例の元禄事件で幕府から城明け渡しの指示が来た際,場内では籠城して戦おうという意見もあり,もしこの案が採用されていたら山鹿流城郭の力が示されたかもしれない.尚,本丸には大きな天守台が築かれているが,実際にここに天守が置かれたことはなかった

赤穂城大手門

本丸表門

厩口門

再建された隅櫓
 
(5万石規模 の城に天守を置いたら確実に幕府ににらまれるだろう).
 明治維新後廃城となり,建物はすべて失われてしまったため,今に残るのは石垣と堀だけであるが,大手門や櫓が再建されており往時の雰囲気を忍ばせている.また,三ノ丸には赤穂浪士の中心人物である大石内蔵助の屋敷の長屋門が現存しており一見の価値がある.
 (登城日 2010年1月3日)
 

二ノ丸外堀

本丸の石垣

大石邸の門
 
 
赤穂城へのアクセス: JR播州赤穂駅から徒歩15分または,バスで5分大石神社前下車徒歩数分です.   

スタンプの設置場所 赤穂市立歴史博物館にあります(本丸櫓門にもあるそうです)

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園なので楽に見学できます.


スタンプ
 


 

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