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 日本100名城スタンプラリー


 6.盛岡城


 盛岡は盛岡藩10万石(江戸後期に20万石に変更)の城下町である.治めていたのは南部氏で,その歴史は鎌倉時代に遡る(鎌倉時代から明治維新期まで同じ家が支配していた土地は陸奥=南部氏と薩摩=島津氏だけなのだそうだ.どちらも中世日本の南北の端だ).
 南部氏は元は今の青森県南部町,ついで三戸町に居城があったのだが関が原の戦いで徳川家康に味方したことから所領を安堵され,江戸時代初めに居城を盛岡に移している.
 盛岡の城下町は北上川,中津川,雫石川という3つの川の合流地点に形成されているが,この川が3つもあるというのが曲者で,軍事的な意味合いでは要害の地ということになるものの,現代的な感覚では,盛岡の中心部を移動するためには常に川を渡らなくてはならず,川を渡る橋の部分でいつも交通が渋滞しているのであった.
 盛岡城は盛岡の中心部にあって川を天然の堀として本丸が,その北に二の丸,三の丸が置かれる構造となっている.本丸には天守台が築かれていたのだが,幕府に遠慮したのか本格的な天守は造られず,御三階櫓が置かれていたようである.城内の建築物の大半は明治以後破壊され,現在では移築の蔵の他は濠や石垣が残るだけとなっている.城跡は現在盛岡城跡公園(旧岩手公園)


盛岡城跡公園の入り口

盛岡城の見どころの高石垣

紅葉と石垣
 
として整備されており,春の桜,秋の紅葉と訪れる者を楽しませている.当時をしのばせる建物は土蔵の彦御蔵だけであるが,地元産の花崗岩で築かれた高石垣が見事で,これだけでも100名城に選定される価値があると思うのだった.
 (登城日 2008年6月14日,同11月1日,2009年2月28日)
 

本丸と二の丸をつなぐ橋

藩政時代からのこる彦御蔵


天然の濠とした中津川
 

かつて日露戦争で戦死した南部家第42代利祥中尉の騎馬像があった台座

城跡近くの桜山神社
にある烏帽子岩

中津川から見える岩手山の姿


 

盛岡城の図
 
盛岡城のアクセス: JR盛岡駅から盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りにて6分,盛岡城跡公園下車すぐ(同右回りなら中央通り一丁目下車で徒歩数分)  

スタンプの設置場所 城跡から徒歩10分くらい,中津川の対岸にあるプラザおでっての2階にあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.


スタンプ
 


 

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