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 日本100名城スタンプラリー


 58.明石城


 兵庫県には日本100名城に選定された城郭が5つあるが,今回紹介するのは明石城である.明石の地は山陽道の大阪と姫路の中間に位置し,海峡を挟んで対岸には淡路島,さらには四国の徳島と向かい合う交通の要衝である.古来からこの地域を治める勢力にとっては重要な拠点であり,戦国時代には船上城が築かれていた.築城主はキリシタン大名の高山右近と言われている.
 関が原の戦い後,明石の地は池田輝政の姫路藩の一部となり,船上城も支城のひとつとされた.しかし大阪の陣の後池田氏が鳥取に転封になると,この地には新たに明石藩が立てられ,譜代大名である小笠原忠真が藩主として赴任することになった.この際将軍徳川秀忠は明石が要衝の地であることから,西国の外様大名への押さえの城を築くことの必要性を考え,忠真に新たな城の建設を命じた.こうして元和4年(1618年)から築城が始まったのが明石城である.
 将軍秀忠の肝いりで始まったこの築城には,幕府からの財政援助や当時の姫路藩主本多忠政の協力もあり,工事は約2年で完了している.建築資材には廃城となった近隣の城のほか,一部には京都の伏見城のものも利用されていたという.
 城郭は中央の本丸から西に稲荷曲輪,東には二の

明石城跡は現在公園になっている

堀と石垣

二ノ丸への登城路
 
丸・三の丸・東の丸が連郭式に配され,周囲は堀(一部は池)がめぐらされた構造になっていた.平野部に ある城ではあるが,本丸部分が小高い台地上にあるため,平山城に分類されている.本丸には天守台が造られているものの,実際に天守が置かれたことはない.
 明石藩は江戸時代前半を通じて藩主の交代が著しく(これは明石城に限らず,要衝の地に置かれた小藩はどこもそうだった),なかなか藩政が安定しなかった.しかし天和2年(1682年)に親藩の松平直明が入ってからは,そのまま松平氏の下で幕末に至ることになった.
 明治維新後廃城となり,一時皇室の御料地となったものの,大正年間に明石公園として開放され現在に至っている.遺構としては堀や石垣のほか,本丸の四隅に築かれていた4つの櫓のうち,巽櫓と坤櫓が現存している.
 (登城日 2010年1月11日) 
 

八代藩主松平直明愛用したとされる井戸

伏見城から移築したといわれる巽櫓

船上城から移築したとされる坤櫓
 

天守台

艮櫓跡

JR明石駅からの眺め
 
 
明石城へのアクセス: JR明石駅から徒歩数分です   

スタンプの設置場所 正面から入ってすぐ右手のサービスセンターにあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.


スタンプ
 


 

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