兵庫県には100名城に選定された城郭が5つあるのだが,今回ののテーマはそのひとつ篠山城である.「篠山」城,まずはこれが読めるだろうか.有名な写真家の姓と同じ字であるが,じつこれで「ささやま」と読むのだ.所在地は兵庫県内陸部にある篠山市,JR福知山線の沿線である.
篠山城が造られたのは慶長14年(1609年)なので関ヶ原の戦いの後ということになる.100名城の中では歴史の新しい城といってもよいであろう.築城者は松平康重だが,築城を命令したのは徳川家康だとされている.ここ篠山の地は京都や大阪から山陰・山陽に向かう街道を抑える地点として重要な位置にある.関ヶ原の戦い,そして江戸開府後の家康にとって最大の関心事は,大阪城にある豊臣家の動向だった.このため将来的に大坂方との戦になった場合に,この篠山城を西の抑えの城と考えていたわけである.城の縄張りをしたのは築城の名手藤堂高虎で,これに加藤清正,福島正則,浅野幸長ら西国在住の豊臣恩顧の大名を中心に約20家による普請が行われた(家康の狙いはもちろんこうした豊臣系大名の経済力を削ることにもある).これだけの大名が参加した工事なので城はわずか半年で完成している.
完成後この城は篠山藩の藩庁となり,築城主の松平康重が入ったが,10年後の元和5年(1619年)に転封となり代わって松平信吉が,さらに慶安2年(1649年)に松平康信が入るなど藩主が一定せず混乱が続いた.その後寛延元年(1748年)に青山忠朝が入り以後は幕末に至るまで青山氏の居城となった.
篠山城は比較的小規模な藩の城郭ということもあって,城としての規模はそれほどではないが,洗練された高石垣や堀,よく遺されている馬出などの遺構から往時をしのぶことができる.城郭の中央には大きな天守台があるが,実際にここに天守が造られたことはなかったらしい.またこの城を代表する建造物が大書院で,その規模は京都の二条城の御殿にも引けを取らない.オリジナルは昭和19年の失火で焼失してしまったものの,2000年に復元されてかつての威容を取り戻している.
(登城日 2010年1月2日) |
篠山城大手門馬出跡 |
外堀 |
くろがね門 |
再建された大書院 |
天守台 |
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