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 日本100名城スタンプラリー


 53.二条城


 平安遷都から1200年あまり,長い間京都は日本の中心地であった.794年に開都した平安京は唐の長安をモデルとしたといわれている.当時の大陸では都市=城であり,都市の周囲を城壁で囲って外敵からの侵入に備えていたが,日本では都市が外敵に攻められるという事態が想定されにくいためか平安京に城壁が築かれることはなかった.
 鎌倉時代や江戸時代にはそれぞれ鎌倉江戸に行政府が置かれたが,京都が重要な街であったことには変わりがなく,鎌倉時代には六波羅探題,江戸時代には京都所司代といった出先機関がそれぞれ置かれていた.
 そんな京都の街で重要な役割を果たした城郭が二条城,その名の通り二条大路付近にある城である.城そのものは室町将軍家時代からあったようだが,現在に残る城郭が造られたのは江戸時代のことである.
 慶長6年(1601年),関ヶ原の戦いの翌年に工事が始まり,慶長8年(1603年)に一応の完成をみた(その後五層五階の壮麗な天守閣も築かれた).二条城は天皇のいる御所の警護の他,将軍が上洛した際の宿舎としての役割も担っていた.この時期には未だ朝廷と幕府の関係も微妙であり,家康から家光に至る代の将軍は時々京都に出向いていたのである.しかしながら幕藩体制が確立した4代家綱以降,将軍の上洛は無くなった.それが復活したのは幕末の文久3年(1863年)に14代将軍家茂の時である.ちなみにこの将軍上洛に先立って派遣されたのが近藤勇,芹澤鴨といった後の新選組の面々も参加した浪士組である.
 二条城は江戸時代の歴史の節目の舞台となった城である.慶長16年(1611年)にここで家康と豊臣秀頼との会見が行われたのをはじめ,寛永3年(1626年)には後水尾天皇の行幸を迎えていれている.さらに特筆すべき事件はなんといっても慶応3年(1867年)10月の大政奉還であろう.これは今も残る二ノ丸御殿の大広間で行われたものである.
 現在の二条城は国宝の二ノ丸御殿をはじめ,数多くの重要文化財などを持ち,城郭全体が世界遺産にも指定されている.
 (登城日 2008年11月22日)

京都国際ホテルからの二条城(左端が東南隅櫓)

東南隅櫓(重文)

東大手門(重文)

二ノ丸御殿(国宝)

二ノ丸御殿唐門(重文)
 

本丸櫓門(重文)

内堀に架かる西橋

天守台から見た本丸御殿
 

桃山門(重文)

本丸御殿(重文)

天守台と堀
 
 
二条城へのアクセス: 地下鉄東西線二条城前駅下車すぐ   

スタンプの設置場所 二ノ丸御殿の東側,休憩所の隣にある管理事務所に置いてあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 気軽に散策できます.


スタンプ
 


 

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