滋賀県安土町は町内に2か所の100名城を有するキャッスルタウンである.ひとつが織田信長で有名な安土城だが,もうひとつが今回のテーマ観音寺城である.
観音寺城は標高430メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂に築かれた山城なのだが,一方でこの地は中世において東山道や八風街道の筋にあたる交通の要衝でもあった.
城の歴史は南北朝時代にさかのぼると言われており,太平記によると建武2年(1335年)に六角氏頼が後醍醐天皇の側近北畠顕家の軍勢に備えるためにこの地に入ったのが始まりとされている.もっともこの時期は臨時の簡易砦といった趣であり,本格的な城郭と呼べるものではなかったようだ.
ここが本格的な城郭になったのは応仁の乱(1467〜1477)の頃からである.当時の当主六角高頼は西軍に属していたため,東軍側の京極氏との間で三回にもわたって観音寺城の攻防戦が行われている.
戦国時代に入るとこの城の整備はさらに進み,天文年間には今に残る各郭の石垣が築かれたと言われている.中世の城郭でこれほど石垣が作られた城はほかに例がなく,このことからも観音寺城が特異的な城郭であったことがわかる.その一方でこの城には堀切の遺構がなく,軍事施設というよりも権威の象徴的な側面が強かったともいわれている.
永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛すると,六角氏は当時京都の室町幕府を牛耳っていた三好三人衆とともにこれに対抗する姿勢を見せた.その結果戦になったが,支城である箕作城が一日で落城すると,そのまま観音寺城から撤退し,城は無血開城となった.そして安土桃山時代になり,信長によって近くに |
南から見た繖山の全景 |
観音寺城跡の看板 |
大手口からの大石段 |
この数字が少なくなるに従って観音正寺が近づく |
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