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 日本100名城スタンプラリー


 51.安土城


 滋賀県安土町には100名城に選定された城が2つある.そのうちの一つが観音寺城でもう一つが今回のテーマ安土城である.
 観音寺城が戦国時代までの中世の城とすれば,この安土城は近世城郭の始まりともいえる城郭である.中世の城が実用本位の軍事要塞・砦といった趣だったのに対 して,近世のそれは軍事的側面に加えて為政者の居住空間や権威の象徴といった意味合いも付加されている特色を持つ.特に近世城郭の象徴ともいえる立派な天守は,この安土城から始まったとも言われている.
 安土城を築いたのは織田信長だが,信長の居城が当初から安土にあったわけではない.織田氏の領国は尾張であり,当初は清州城(愛知県清須市)がその本拠であった.その後永禄10年(1567年)に美濃を支配していた斎藤龍興を追放して,その地を平定すると,斎藤氏の本拠だった稲葉山城に入り(この時に当地の名を岐阜と改めている),さらに畿内の平定をほぼ終えた天正4年(1576年)に安土城を築きここに移ってきたのである.
 以後は信長による天下布武の本拠地となったが,天正10年(1582年)の本能寺の変後に起こった豊臣秀吉と明智光秀とのいわゆる山崎の戦い後のドサクサの中で天守は焼失したとされている.その後も織田氏の後継者(孫の織田秀信など)居城として使われいたものの,豊臣秀次が隣接地に八幡山城を築いたため,天正年間中には廃城となった.
 安土城は安土山全体を利用して築かれた山城である.同じ町内にあり徒歩圏内の観音寺城の影響を強く受け,石垣がふんだんに使われていることです知られている.そしてなんといってもこの城の象徴と言えるのが天守(天主)である.当時日本で布教活動を行っていたイエズス会の宣教師も「これほど壮麗な城はヨーロッパにもない」と伝えて いる.それがどのようなものであったか,正確な絵図面等が発見されていないことから不明な点が多いのだが,七重であったとか屋根が金色であったなど様々な伝聞があり興味は尽きない.
 近代になってから発掘,保存が行われるようになり,現在城郭は国の特別史跡に指定されている.当時の建築物としては場内に建立されていたハ見寺の三重塔や

安土城大手道(まっすぐ伸びる石段が特徴です)

これだけの石垣が使われた城は近世初ともいわれます

敷石にされた石仏,信長の宗教観が現れている

信長の小姓森蘭丸の屋敷跡

羽柴秀吉屋敷跡といわれます
 
二王門が残ってる.そのほか石垣や堀, 天守台などの遺構に加え,大手道などが復元整備され,当時の威容を偲ぶことができる.また町内には資料から復元した天守の一部が保管されている安土城天主信長の館もある.
 (登城日 2009年2月8日) 
 

信長の墓所

二の丸跡

天主台(天守台)跡
 

ハ見寺の仁王門

ハ見寺の三重塔

復元された天主の一部
 

安土町観光協会さんから
 
安土城へのアクセス: JR安土駅からレンタサイクルで15分程度です.   

スタンプの設置場所 安土城天主信長の受付にあります

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 良く整備されているため歩きやすいですが,山城なのでそれなりに大変です(観音寺城の後で来ると楽に感じます).


スタンプ
 


 

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