ホーム
海外旅行記録
国内旅行記録
非日常の世界
日常の世界
幕末・新選組の
小部屋
”100”の小部屋
学問の小部屋
ビザンチン帝国
とは
SINCE 2011年9月25日
日本100名城スタンプラリー
45.岡崎城
愛知県は織田信長,豊臣秀吉,徳川家康という,いわゆる天下人三人の出身地として知られている.その中でも岡崎市は江戸幕府を開いた徳川家康生誕の地である.それゆえここに来ると,とにもかくにも
家康
・
家康
・
家康
なんであるが,そんな家康ワールドの中心に位置するのが
岡崎城
ということになる.
岡崎城は15世紀半ばに当地の守護代だった西郷氏が築城したとされている.戦国時代に入って享禄4年(1531年)に松平氏が城主となったが,天文18年(1549年)に松平広忠が暗殺されると,この地は駿河の今川氏の勢力下に入った.この時今川氏のもとに人質として出されたのが清康の孫の竹千代,後の徳川家康である.
その後永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川氏が没落すると松平氏はその支配を離れ,以後家康は
織田信長
の同盟者(とはいえ力関係からすれば家臣同様ではあるが)としての道を歩んでいく.岡崎城も家康の本城となったが,元亀元年(1570年)に本拠を浜松に移転,さらに豊臣政権下で関東に移封されると,岡崎城には豊臣系の大名である田中吉政が入った.この吉政時代に近世風の城郭に改装されたようである.
関ヶ原の戦い,そして江戸幕府開府後の岡崎城は,家康誕生の地という意味合いもあってか譜代大名の所領となり,老中など幕府の要職を務めるものが多く出た.
再建された天守
大手門(再建)
龍城堀
明治維新後廃城となり天守など城の建築物はことごとく破壊されたが,堀や石垣などの遺構は遺されており,現在は岡崎公園として整備され昭和34年(1959年)には天守も再建されている.
(登城日 2008年8月23日,2008年12月28日)
当時の空堀
家康が産湯をつかった井戸といわれる
野面積みの石垣
岡崎城へのアクセス: 名鉄東岡崎駅下車徒歩10分程度です.JR岡崎駅からは愛知環状鉄道に乗り換えて2つ目中岡崎駅下車徒歩10分です.
スタンプの設置場所 天守の受付にあります.
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません)
気軽に散策できます.
スタンプ
トップページに戻る
日本100名城トップへ