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 日本100名城スタンプラリー


 43.犬山城


 岐阜県と愛知県の境ともなっている木曾川,この川の愛知県側に今回のテーマ,犬山城が建っている.
 日本には数多くの城郭があるが,それらのうち国宝に指定されているのは4城で犬山城もその一つだ(後は東から松本城,彦根城,姫路城.その他重文の天守が8つある).
 ここの城の最大の魅力はやはり国宝に指定されている天守で,現存12天守中最古のものと言われている.すなわち三層四階の天守の基礎部分が作られたのはなんと戦国時代とのことで驚きである.このお城は別名白帝城とも呼ばれているが,これはもちろん三国志の英雄劉備玄徳の臨終の地である白帝城にちなんだものである(白帝城と長江の関係を犬山城と木曽川の関係に見立てたもの).
 犬山城を築いたのは織田信長の叔父にあたる織田信康で天文6年(1537年)のことといわれている.後に天下の覇者となる織田家もこのころはまだ一族内の争いもあって,尾張の一豪族に過ぎなかった.天文13年に斉藤道三との戦いで信康が戦死し,子の信清が後を継ぐが,永禄7年(1564年)に織田信長に攻め られて,以後は信長傘下の城となった.尾張と美濃の国境にある重要地点であり,織田豊臣政権下では城主が目まぐるしく代わっていった(池田恒興,武田清利,土方雄久など).

国宝犬山城

遠くから見える天守

近くから
 
 江戸時代になり大阪の陣が終わった元和3年(1617年)以後は尾張藩家老の成瀬氏が城主となり,そのまま幕末に至ることになる.明治維新で廃城となったものの,天守を含む城郭はそのまま存続した.明治以後も成瀬氏の所有する城郭となっていたが,平成16年(2004年)4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管され現在に至っている.
 現在は犬山市を代表するスポットとして多くの観光客を集めている.遺構としては現存天守の他,野面積みの石垣などが良い状態で保存されている.
 (登城日 2008年8月24日,2009年2月7日)
 

登郭道

天守から見た木曽川と市街地

天守に向かう櫓門
 


天守全景

天守内部の石垣
 
 
犬山城へのアクセス: 名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩12分ほど.JRの場合は高山本線鵜沼駅から徒歩30分程度になります(タクシーなら1000円くらい).  

スタンプの設置場所 天守に向かう櫓門の上にある管理センターにあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 気軽に散策できます.


スタンプ
 


 

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