現在の静岡県は旧国名では大井川を挟んで西が遠江,東が駿河になるが,その遠江側にある100名城が本日のテーマ掛川城である.
掛川城といえば「功名が辻」で知られる山内一豊とその妻千代が有名で,豊臣政権下の天正18年(1590年)には5万石の大名としてこの地に封じられている.彼の時代に天守の建築や城下町の整備などが行われたといわれている.
関ヶ原の戦いの後,一豊は20万石に加増され土佐に移り掛川を去った.元来掛川は東海道という極めて重要な街道筋に位置する城のため,江戸時代になるとここには譜代大名が置かれるようになる.しかし佐倉城などと同様重要地点であるがゆえか,当初は藩主の交代が激しく,江戸開府から18世紀半ばまでは,藩主が12家にわたって入れ替わる状態であった.これがため藩政が安定しない状態が続いていたが,延享3年
(1746年)に太田資俊が5万石で入るとようやく安定し,そのまま幕末に至ることになった.
安政年間に大地震がこの地を襲い(安政東海地震),天守や御殿など城の建物に大きな被害をもたらした.その後文久年間に御殿は再建されたものの,天守は再建されないまま,明治維新後に廃城となった.
現在掛川城は掛川市観光の中心として整備されている.最大の見どころは文久年間に再建された二の丸御殿で,国の重要文化財にも指定されている.その他本丸にある太鼓櫓や石垣なども当時のものである.一方幕末に倒壊した天守は20世紀末の平成6年(1994年)に木造で復元され,以来こちらの方が掛川城のシンボル的存在となっているようだ
私が掛川城に登城したのは2008年8月23日だったが,ちょうど二の丸御殿を見学していた所係員がやって来て,「実は城内にある二ノ丸美術館の入場者数が間もなく50万人になるので,今行くといいことがあるかもしれませんよ」と言われたのだった.これは面白そうとさっそく行ってみたのだが,
なんと私は晴れて500,001人目の入場者だった(笑).500,000人目の方は東京から来 |
掛川城天守(再建) |
大手門(再建) |
番屋(移築) |
二ノ丸御殿(重文) |
御殿内部 |
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