今回のテーマは岐阜県の岩村城である.名古屋から中央本線で約1時間の恵那駅で明知鉄道に乗り換えて30分で到着する.山深い土地で市街地の標高がすでに500メートルもあり,城の本丸の標高が721メートルと山城では日本一であることから日本三大山城のひとつに数えられている.
岩村城の歴史は遠く鎌倉時代にさかのぼることができ,源頼朝の家臣加藤景廉によって12世紀末に築かれたと言われている.景廉の子景朝の代になってこの地に定着し,姓を遠山に改め以来戦国時代まで領主となっていた.
遠山氏最後の城主となったのが遠山景任で,妻に織田信長の叔母(おつやの方)を迎えて姻戚関係を結んでいた.さらに信長の子を養子に迎えて,景任の死後はおつやの方自身がが女城主として城を采配するなど,織田方の出城として重要な役割を担っていた.
ところが元亀三年(1573年)に武田信玄の軍勢に攻められ,城はついに降伏,この時おつやの方は自身が武田型の武将秋山信友の妻になることで城内の人々の命を救った.しかし,この降伏は織田家にとっては裏切り以外の何物でもなく,激怒した信長は天正三年(1575年)に嫡男信忠に命じて岩村城を攻撃,これを陥落させ秋山信友・おつやの方夫妻を逆さ磔で処刑したと伝えられている.
江戸時代には岩村藩2万石(後に3万石)の城となり,明治維新後に廃城とされた.この時城の建物は破却されてしまったが,石垣や井戸などの遺構が現在までよく保存されているのだった.麓の歴史資料館から登り始める.山城ではあるが,登山道はきちんと石畳で整備されて |
復元された太鼓門 |
登山道は整備されています |
登っていくと徐々に石垣が登場します |
名水霧ヶ井 |
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