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 日本100名城スタンプラリー


 37.一乗谷城


 今の福井県に当たる越前の国は,畿内から近いこともあって古来重要な土地とされていた.とりわけ幕府が京都にあった室町時代には,足利将軍家の一族で,三管領の一つである斯波氏が代々守護職を務めている.
 しかし京都を焼け野原にした応仁の乱(1467〜1477)では,斯波氏内部の権力争いも激化,その中で斯波氏の重臣だった朝倉孝景が勢力を伸ばして(将軍足利義政や細川勝元の後援があったといわれる),ついには越前の支配権を奪ったのだった.
 この朝倉氏の本拠となったのが一乗谷城である.今の福井市街の南東,足羽川の支流の一乗谷川流域に城下町が,周囲の山々に砦などの軍事施設が造られていた.特に城下町には武家屋敷や寺院,町屋 などが立ち並び,当時荒廃の極みにあった京都から多くの公家や僧侶,学者,文人などが避難しており,西の山口とならんで,京文化が花開いた街となっていた.
 このように戦国時代に5代100年の栄華を誇った一乗谷城だったが,織田信長が台頭するとその圧迫を受けるようになり,元亀元年(1570年)6月に姉川の合戦で敗北,3年後の天正元年(1573年)8月についに織田信長によって滅ぼされてしまった.この時信長は一乗谷に火をかけ,朝倉氏の栄華の跡は灰燼と帰したのである.

城下町の北の入り口の城戸跡

背後の山に山城が形成されている

発掘された朝倉屋敷跡
 
 朝倉氏滅亡後,この地に入った柴田勝家は北の庄を本拠としたため,一乗谷は歴史の闇の中に眠ることとなった.しかしそれが幸いして街はそのまま保存されることとなり,昭和42年から進められた発掘で昔のままの城下町の遺跡が発見されるにいたったのである.
 現在は一乗谷朝倉氏遺跡として,かつての城下町等が再現されている.
 (登城日 2009年4月18日) 
 

復元された街並み

再建された唐門

街を流れる一乗谷川
 

本丸にあたる千畳敷

大きな堀切

山城から見た下界
 
 
一乗谷城へのアクセス: JR一乗谷駅から徒歩25分で城下町です(レンタサイクルもあるようです).山城へはさらに30分以上の登りになります(自動車利用なら,遺跡の反対側にある駐車スペースに車を置いて歩くと比較的楽です.詳細は朝倉氏遺跡資料館で確認して下さい).   

スタンプの設置場所 城下町の北にある一乗谷朝倉氏遺跡資料館にあります

登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 城下町だけなら★ひとつですが,山城を見学するにはかなりの気合が必要です.


スタンプ
 


 

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