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 日本100名城スタンプラリー


 34.七尾城


 城郭の使用目的は時代とともに変化する.江戸時代には主として大名の居住地や政庁として利用されたため,主として平野部などの交通の利便性の良い場所に建てられた(平城).
 それに対して戦国時代の城は軍事施設であり,外敵から領国を守る砦として築かれていた.したがって当時の城は断崖などの要害の地に作られること が多かったのである.特に山頂や尾根筋は,適当な水源が確保されれば,守るに易く攻めるに難い場所であるため好んで城が築かれた(山城).こうした山城は全国に数多くあるが,俗に五大山城などと呼ばれるものがあって表題の七尾城はそのひとつに数えられている(あとの4つは月山富田城観音寺城小谷城春日山城).
 七尾城は石川県の能登地方の中心七尾市の郊外に位置し,標高約300メートルの城山とその周辺の尾根筋に各郭が連なる城郭である.
 七尾城を築いたのは室町時代にこの地の守護だった畠山氏で,その築城は15世紀前半のことと考えられている.当初は簡単な砦のみで館などは山麓に置かれていたようだが,応仁の乱とその後の戦乱から徐々に拡充が行われ,戦国時代後半には政庁を含め主要施設がすべてこの地に入り,一大城塞都市となったらしい.
 天正五年(1577年),上洛を狙っていた上杉謙信によって七尾城は包囲されたが,さすがに要害のこの城は戦上手の謙信を持ってしても簡単には落ちず,結局城内の内紛による自滅から同年9月に開城となった.
 その後は上杉氏,次いで織田信長の勢力下にあったが,天正十年(1582年)に城主の前田利家が居城を交通の便の良い平野部の小丸山城に移したためその存在意義を失い,やがて廃城になってしまった.
 しかし,福井の一乗谷城と同様にその後の主要市街地から外れたことによって,当時の遺構が良く遺る城郭となっている.当時の建物などは残るはずもないが,郭や石垣,土塁などがよく保存されている.特に本丸に残る五段の石垣は見事で,当時の威容を物語る存在である.
 (登城日 2009年4月19日)

麓の城史資料館

カーブが続く七曲り

本丸北側の石垣群

本丸に続く階段

本丸です
 

本丸〜二ノ丸間の桜馬場

九尺石(その大きさから)

二ノ丸です
 

三ノ丸に向かう道

三ノ丸

山頂からの眺め
 
 

七尾城へのアクセス: JR七尾駅から市内循環バス「まりん号」(東まわり)にて11分バス停「城史資料館前」下車すぐに資料館がありそこから徒歩40分で本丸です(まりん号時刻表).帰りは同じバス停から乗ってミナ・クル下車すぐが七尾駅です. 

 

スタンプの設置場所 山麓にある七尾城史資料館にあります

登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 登山道はよく整備されていますが30分以上の登山となり健脚向きです(ただし車の場合は本丸近くに駐車場があるのでそれほどでは歩く必 要はありません.ですがこの城郭の雰囲気を堪能するためにも資料館から歩くことをお勧めします).


スタンプ
 


 

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