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 日本100名城スタンプラリー


 32.春日山城


 戦国時代を代表する武将である上杉謙信,彼の居城だったのが春日山城である.
 上杉謙信といえば戦上手として知られており,生涯に数多くの合戦を戦い,そのほとんどに勝利したといわれている.その居城である春日山城は難攻不落の城といわれる山城であるが,実は彼の生前ここが外敵の攻撃にさらされたことは一度もなかったという.上杉謙信は生涯にわたって常に攻勢をとり続けていたことになる.
 そんな謙信だが,また義に厚い武将としても知られている.彼の戦は自分の領土を広げる戦というのはあまりなく,もっぱら他国の侵略に脅かされる小国の援助という面が強いからである.有名な川中島の合戦にしても,武田信玄の侵略に悩む信濃の土豪への援軍がその主目的であった.
 謙信の元の名は長尾景虎である.長尾氏は越後の守護代で,主家の上杉氏は代々関東管領の家柄であった.管領とは将軍の補佐役で,鎌倉幕府の執権,江戸幕府 の老中にあたる.関東管領は京都にいる室町将軍の代わりに東国の御家人を統率する鎌倉公方の補佐役ということになる.しかし戦国時代に入ると関東は北条氏の勢力が強くなり,関東管領の上杉氏の権勢は凋落する一方であった.そんな背景で,1561年に長尾景虎は請われて上杉氏の家督と関東管領の職を引き継ぎ,上杉輝虎 (謙信)となった.
 関東管領の職務とは東国の秩序を守ることであるから,謙信が関東での北条氏,信濃での武田氏の勢力拡大に干渉戦争をしかけたのも職務に従っただけともいえるかもしれない.
 上杉謙信の生涯はまさに戦の連続であったが,その一方内政にも手腕を発揮し,日本海交易や地場産業の振興などで領国の経済を大いに高めたといわれる.武田信玄亡き後,台頭する織田信長に対抗しうる唯一の存在であったが,1578年の春に突然死去してしまう.死因は脳卒中といわれている.
 春日山城は今の新潟県上越市の中部にある春日山に築かれた山城で,山頂に本丸が,その一段下に二ノ丸,その下に三ノ丸が置かれ,各部の間は深い空堀で区切られていた.前述のようにここが外敵に攻められることはなかったが,謙信没後の後継争いである御館の乱でこの地は戦場となってしまった.豊臣政権下に

大手道入り口

千貫門跡

かつて春日山城の門だったといわれるものです(麓の林泉寺にあり)

本丸

毘沙門堂
 
上杉氏が会津に転封になると,ここには堀秀治が入ったが,彼はより交通の便に優れた福島城を築いたため,春日山城は廃城となった.
 (登城日 2008年7月21日,2009年10月31日)
 

上杉謙信像

復元された土塁

直江屋敷跡
 
 
春日山城へのアクセス: JR直江津駅または春日山駅からバス(時刻表),または春日山駅から徒歩40分です.   

スタンプの設置場所 春日山城ふもとのものがたり館にあります(春日山神社から徒歩で20分くらいです).

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 道は整備されていますが,ちょっとした山歩きの様相です.


スタンプ
 


 

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