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日本100名城スタンプラリー
31.新発田城
新潟県の城郭としてはなんといっても上杉謙信の春日山城が有名であるが,同県のもう一つの100名城が新発田城である.新発田市は新潟市から北に電車で40分くらい行ったところにある.
越後平野の北部にあたるこの地は室町時代ごろから代々新発田氏が支配する土地であった.最盛期には今の新潟市から三条市あたりまで勢力を伸ばしていたようである.
戦国時代に入り春日山城を拠点とする上杉謙信の勢力が強まると16世紀半ばにはこれに臣従する.しかし謙信の没後,様々な不満と当時上杉領の攻略を進め ていた織田信長の誘いに乗って反乱に踏み切った.当時の当主は新発田重家であったが,彼は武将としてもすぐれており,上杉景勝は討伐に失敗してしまう. しかし信長が死ぬと,豊臣秀吉は敵対勢力であった柴田勝家を倒すため,当時勝家と戦っていた上杉景勝に接近し,これと同盟を結ぶ.秀吉という強力な後ろ盾を得た景勝は再び新発田城攻略に着手し,ついに天正15年(1587年)に攻め落とすことに成功した.この時景勝の重臣で2009年大河ドラマの主役の直江兼続も城攻めに活躍している.
新発田氏滅亡後は上杉氏の領土となっていたが,慶長3年(1598年)に上杉景勝が国替で会津に去ると,代わって溝口秀勝が6万石で入封,彼は関ヶ原の戦いで東軍に味方したため家康から所領を安堵され,以来幕末に至るまで代々溝口家がこの地を治めることになったのである.
ちなみに現在に残る新発田城の遺構は溝口氏時代のものである.明治の廃城後城,多くの建物が破却されたが,本丸の表門と二の丸隅櫓は江戸時代からの遺構であり,さらに辰巳櫓や三階櫓が再建されてそびえている.城跡の大部分は陸上自衛隊の駐屯地になっており,
事実上天守の御三階櫓(復元)
御三階櫓(別角度から)
二ノ丸隅櫓(重文)
辰巳櫓(復元)
表門を中心とした一部のみが公園として一般に公開されている.
ちなみに三階櫓は実質天守といえる威容を誇っているが,陸上自衛隊の敷地内に建っているため残念ながら内部の見学はできない.
(登城日 2008年7月21日,2009年10月31日)
表門(重文)
反対側の表門
ここは赤穂浪士で有名な堀部安兵衛の出身地である
新発田城へのアクセス: JR新発田駅から徒歩20分ほどです.バスなら新発田駅乗車,新発田郵便局前または神明町下車徒歩数分です.
スタンプの設置場所 新発田城址公園の受付にあります(新発田駅から城跡まで徒歩20分くらいです).
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 城の外を回って歩いてもそれほど時間がかかりません.
スタンプ
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