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 日本100名城スタンプラリー


 3.松前城


 日本全国にはそれこそ数多くの城郭,城跡がある.その中でもいわゆる日本式の城郭として最北に位置するのが松前城である.
 幕藩体制下北海道には唯一の藩として松前藩があった.石高は1万石(後に3万石)となっていたが,農業技術が進歩した現在とは違って,当時ここは米がとれない土地だったため,藩の収入はもっぱらアイヌとの交易や漁業によるものであった

松前城
 
(これらを石高に換算した).藩の政庁が置かれたのが今の松前町福山だったが,幕藩体制下では北の辺境の土地と考えられていたためか,関東周辺や西国のような大きな城郭が築かれることはなく,こじんまりとした陣屋が置かれた程度だったようである.
 しかし19世紀になって欧米諸国の船が日本近海に出没するようになると状況は一変した.幕藩体制は本来外様大名をいかに抑えるかに主眼が置かれた体制だったのだが,今度は外国の脅威に対応しなければならなくなったわけである.特に北から迫ってくるロシアへの備えとして松前藩の立場は重要であると考えられた.こうして松前城の改修が行われることとなり,安政元年(1854年)に完成した.この時に三重の天守が作られたほか,近代戦を意識してたくさんの砲台が築かれている.
 

本丸御門

本丸表御殿玄関

堀端に立つ再建天守
 

天神坂門

搦手二ノ門

石垣に残る弾痕
 
 このように松前城は幕末期に完成した城郭であり,日本の近世城郭では最も新しい部類に入る.前述のようにもともとは外敵への備えとして作られた城郭であるが,ここが戦場になったのは皮肉にも戊辰戦争という内戦においてであった.
 明治元年(1868年)秋,北海道に榎本武揚を中心とする旧幕府軍が上陸,その攻撃を受け,同年11月5日に落城の憂き目にあったのである.この時,攻撃側の幕府軍の指揮官が元新選組副長の土方歳三であった.
 しかし翌明治2年になると新政府軍の反撃が始まり,結局松前城も奪還されてしまうこととなった.維新後は廃城となり建物の多くは解体された.ただ,天守など一部の建物は保存され残っていたものの,昭和24年に火災が発生し天守もこの時に焼失してしまった.現在では本丸御門が現存しているほか,遺構として石垣や堀などが残されている.また火災で焼失した天守も昭和30年代に外観復元された.

当時土方歳三が陣を構えたといわれる法華寺から城を望む

この日はお祭りで武者行列も出ていました
 
 現在は資料館や藩屋敷などを有する施設として,また春には桜の名所として多くの観光客を集めている.
 (登城日 2009年4月25日) 
 

松前城の模型
 

松前城へのアクセス: JR木古内駅からバスで1時間半です(松前城へのアクセス).

 

スタンプの設置場所 天守内にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.気軽に散策できます.


スタンプ
 


 

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