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日本100名城スタンプラリー
27.上田城
上田城は戦国時代から江戸時代にかけての城郭である.戦国時代には真田昌幸・信繁(幸村)親子で有名な真田氏の居城であった.
真田氏は元々信濃の豪族だったが,甲斐を統一し信濃に進出してきた武田氏に臣従しその家臣となった.武田氏滅亡後は織田信長の家臣になったものの,直後に本能寺の変が起こり信長は亡くなってしまう.その後は徳川家康や北条氏直といった周辺の大大名と外交戦を繰り広げたのち,豊臣五大老のひとりである上杉景勝の配下になった.
そんな真田昌幸の本拠が上田城である.築城したのは昌幸で天正11年(1583年)のことである(先述した徳川氏や北条氏との対立から築城している).正方形の本丸を中心に南に開いたコの字型をした二ノ丸が取り囲み,その東側に三ノ丸が,西側に小泉曲輪が置かれた構造である.本丸南側は断崖になっていて千曲川の支流の尼ヶ淵が流れている.城の西部・北部も川を天然の堀として堅い防御を誇っていた.唯一開けたのが東側であるが,こちらにも蛭沢川や湿地帯があって攻め込むのは容易でなかった.現実にこの城は徳川軍に2度攻められ,2度とも跳ね返した堅城ぶりで知られている.特に慶長5年 (1600年)には徳川秀忠率いる3万余りの大軍を迎えて一歩も引かず,結果秀忠軍を関ヶ原の合戦に遅参させたことで知られている(第2次上田合戦).
東虎口櫓門(再建)
北櫓(移築後復元)
南櫓(移築後復元)
関ヶ原の戦いでは真田昌幸・信繁親子は西軍に着いたため戦後改易となり,上田城も破却された.江戸時代に入り元和8年(1622年)にこの地に入った仙石忠正によって上田藩が立藩された.彼の時代に上田城の再建が行われ,そのまま明治維新を迎えることになる.
現在は上田城址公園として整備され,櫓や堀,石垣などが遺されているほか,門が再建されている.7月13日の暑い日に登城しましたが,門の前にかき氷屋さんが出ていた(秋にも.最登城したが紅葉が素晴らしかった).
(登城日 2008年7月13日,2009年11月23日)
真田石
堀の様子
西櫓(現存)
お約束の真田十勇士
紅葉がきれいです
真田井戸
上田城へのアクセス: 上田駅(JR, しなの鉄道)から徒歩15分程度です.
スタンプの設置場所 お城と駐車場を挟んで反対側にある上田市立博物館の受付にあります(冷房がきいていて気持ちよかったです).
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です.
スタンプ
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