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 日本100名城スタンプラリー


 26.松代城


 信濃は山が多く,地域間の交通が困難であることから,古来統一勢力が存在せず,戦国時代には各地に小勢力が林立した状態となっていた.そこに目を付けたのが甲斐を 統一した武田氏で,信玄の代になった天文11年(1542年)以降信濃の小勢力に対して次々と攻勢をかけていった.これに対して信濃の諸将が援軍として頼ったのが越後の上杉謙信で,ここに武田・上杉の連年の戦いが始まることになる.そんな両雄の決戦の舞台として有名なのが川中島であり,その近くにあるのが松代城である.
 松代城は永禄3年(1560年)に武田信玄が山本勘助に命じて築かせたといわれている(当時は海津城と呼ばれていた).有名な川中島の戦いの際には信玄の重要な拠点となっていた.武田氏滅亡後は信長配下の森長可(森蘭丸の兄),その後上杉氏の所領となるが,江戸時代に入ってからは真田信之が入って松代藩を立藩し,そのまま幕末まで続くことになる(真田氏は関ヶ原の戦いにおいて父昌幸と弟の幸村は西軍に与していたが,信之は東軍についた.これはどちらにしても真田の家を残すための昌幸の苦肉の策である).幕末期に活躍した学者の佐久間象山はこの松代藩の出身である.
 松代城は千曲川を天然の堀とした平城である.ほぼ正方形の本丸を北に開いたコの字型の二ノ丸が囲み,三ノ丸はその南側に位置するという構図になっている(図参照).明治維新後廃城となり,建物はすべて破壊されたため,長らく石垣を残すだけの城郭であったが,20世紀末から堀,門などが再建され現在は海津城跡公園となっている.
 追伸: 太平洋戦争末期に本土決戦を決意していた軍部は,密かに皇居や大本営,政府機関をこの松代に疎開させることを計画し,実際に8割方完成したものの,

復元された太鼓門と前橋

堀と信州の山並み

天守台の石垣

本丸跡
 
天皇自身が疎開に難色を示したことと,本土決戦が行われる前に戦争が終結したため幻に終わっている.現在は地下壕などその一部が見学可能である(松代大本営跡).また映画「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林忠道中将(戦死の直前大将に昇進)も松代出身である.
 (登城日 2008年7月13日)
 

北の櫓門

南の櫓門

松代大本営地下壕跡
 
 
松代城へのアクセス: かつては松代駅から徒歩だったんですが,現在はしなの鉄道屋代駅または長野電鉄須坂駅からバスになります(前者は30分,後者は50分程度 時刻表).  

スタンプの設置場所 太鼓門に向かって左側にある管理棟にあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 散歩にちょうど良い規模です. 


スタンプ
 


 

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