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 日本100名城スタンプラリー


 25.甲府城


 山梨県甲府市は100名城に選定された城が2つもあるお得な街である.ひとつは武田信玄ゆかりの武田氏館だが,もう一つが今回のテーマ甲府城である.
 戦国時代末期の1582年に武田氏が滅ぶと,甲斐は徳川家康の領国となった.その後豊臣秀吉によって家康が関東に移された後,家康を恐れる秀吉の関東への抑えとして秀吉自身の命によって築城されたのが甲府城である.
 甲府城が築かれたのは武田氏時代の城下町の南端にある一条小山という小高い丘であり,中央に本丸,その西に二ノ丸,周辺に各曲輪(楽屋曲輪,鍛冶曲輪,数寄屋曲輪など)が置かれる構造となっていた.豊臣時代には羽柴秀勝,加藤光泰,浅野長政・長幸親子が封じられていた.
 江戸時代になると今度は西国大名の侵攻から江戸を守る西の拠点とされ,親藩大名を藩主とする甲府藩が立藩された(18世紀初めに例外的に柳沢家(五代将軍綱吉の側近柳沢吉保)が城主になった).しかし享保年間以降は一貫して幕府の直轄地(天領)となり幕末を迎えている.
 慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いで敗れ,江戸にもどった新撰組が甲陽鎮撫隊として目指したのもこの甲府城である.明治の廃城後は周辺の開発が進み,かつての城郭は大幅に縮小してしまった(特に中央本線の開通によって,城跡は線路で分断されている).
 現在かつて本丸,二ノ丸だった部分を中心に舞鶴城公園として整備され,櫓や門などが再建されている(一方で線路の反対側にも歴史公園として城跡が復元されている).ただ訪問時は,前述の武田氏館が風林火山人気もあって大勢の観光客を集めていたのに対して,こちらは,駅前という好立地にも関わらず,人影もまばらでひっそりとしていた.
 (登城日 2008年7月12日,2009年2月11日)

稲荷櫓(再建)

天守台(天守があったという記録はない)

現在の石垣の中から昔の石垣が

再建された内松陰門
 


稲荷曲輪門

山手御門
 
 
甲府城へのアクセス: JR甲府駅南口から徒歩5分です.  

スタンプの設置場所 甲府城内稲荷櫓の受付にあります.声をかけると出してくれます.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 駅前の公園です)


スタンプ
 


 

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