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 日本100名城スタンプラリー


 23.小田原城


 この日本100名城スタンプラリー,実は記念すべき初登城のお城がこの小田原城であった.語るまでもなく,小田原城は戦国時代に関東一円を支配した北条氏の拠点である.小田原城は日本の城にしては珍しい,城下町をも含んだ総延長10キロにも及ぶ総構えの造りになっている.非常に堅固な城として知られ,上杉謙信(1561年),武田信玄 (1569年)という二大戦国大名に相次いで攻められながらも守り抜き,ともに撃退に成功しているしていることからもわかる.
 しかし1590年に豊臣秀吉の30万もの大軍によって長期間包囲され,ついに落城の憂き目を見ることになった.これは戦国時代の軍隊が未だ兵農分離されておらず,基本的に農閑期に戦争を行い,農繁期には農作業にあたるというスタイルだったからであり,籠城して一定期間耐えれば敵は退却していったからである.信長や秀吉の軍隊は農業と軍事の分離に成功し,365日戦争のできる常備軍を作り上げ,北条氏の予想を超える兵力で長期間の攻囲戦を挑んできたのである.
 北条氏滅亡後,この地を含めた関東一円は徳川家康の支配地となり,小田原城には家康の部下である大久保忠世が入る.しかし,関ヶ原の戦い後老中となっていた忠世の子忠隣が幕閣内の政争に巻き込まれて改易となってしまい,この地を去る.その後阿部氏を経て,寛永九年(1632年)稲葉正勝(春日局の子)が入りこの時代に今に

小田原城天守

お堀です

復元された銅門
 
残る小田原城の基礎が造られた.その後稲葉氏が越後高田藩に転封になると,再び大久保氏が返り咲き,以来幕末までその支配が続くことになる.
 明治後廃城となり,関東大震災によってほとんどの建物や石垣が崩壊してしまった.現在は天守や銅門などが復元され,小田原城址公園として整備されている.もっとも現在の小田原城は江戸時代のものであり,戦国時代の北条氏時代のものではないのは言うまでもない(規模的には今の城跡とは比べられないほど大規模だったろう).
 (登城日 2008年5月6日)
 

常盤木門

本丸からの展望

かつて本丸にいた象のウメ子
 
 
小田原城へのアクセス: JR小田原駅から徒歩10分ほどです.  

スタンプの設置場所 天守閣の受付にあります.係員に頼むと出してくれます.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 小田原駅から徒歩10程の距離です.


スタンプ
 


 

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