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 日本100名城スタンプラリー


 21.江戸城


 江戸城は言うまでもなく徳川将軍家の居城で,幕府の所在地だったところである.この地に城を築いたのは太田道灌で,15世紀の半ばの室町時代にさかのぼる(1457年).当時は比較的こじんまりとした城郭であったらしい.道灌の死後,上杉氏ついで北条氏の支配下となったが,天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の後,徳川家康に与えられ,以後徳川氏の本拠地となっていく.
 慶長八年(1603年)江戸幕府が成立すると,全国の大名を動員する天下普請によって城郭の拡張が行われた.こうして17世紀半ばの徳川家光の時代には総面積1.8平方キロ(180ヘクタール),20基の櫓,5層の大天守を持つ日本最大の城となった.
 江戸時代を通じて江戸の街は何度も大火に見舞われた.特に有名なのが別名を振袖火事とも呼ばれる明暦の大火である(1657年).これは震災や戦災を除くと日本史上最大の火災といわれるもので,当時の江戸の6割が

二重橋

伏見櫓
 
焼失したといわれている.江戸城もこの災禍から逃れることはできず,本丸・二ノ丸・三ノ丸が焼失,壮麗な天守もこの火災で失われた.その後江戸城は復興されたものの,天守が再建されることはなかった(主として経済的な理由の他に,太平の世になって天守の必要性も失われたからと思われる).
 幕末期の戊辰戦争では江戸の街も戦場になる可能性があったが,勝海舟と西郷隆盛の交渉などで江戸城は無血開城となり徳川将軍家は退去する.そして明治二年(1869年)に明治天皇が行幸して江戸城に入り,以後ここは皇居となり現在に至っている.かつての江戸城の本丸・二ノ丸・三ノ丸部分は皇居東御苑として一般に公開されている.
 (登城日 2008年5月16日,2009年12月23日)
 

富士見櫓

辰巳櫓

皇居正門
 

桔梗門

坂下門

桜田門
 
 
江戸城へのアクセス: JR東京駅丸の内口から徒歩10分です.  

スタンプの設置場所 和田倉休憩所内(他にもあるようです)

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 完璧に散歩気分で大丈夫です


スタンプ
 


 

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