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 日本100名城スタンプラリー


 20.佐倉城


 千葉県北部にあたる下総の国は江戸時代はじめには江戸を守る東の拠点として重視され,老中など幕府の要職に就く人物が封じられた.このため藩主の入れ 替わりが激しく,江戸開府の慶長八年(1603年)からの100年間に,この地に封じられた大名家は松平家,小笠原家,土井家など9家に上る(ほぼ 10年に1回の割合で国替えがあった計算になる).この中でも江戸時代初期に大老として2代将軍秀忠,3代将軍家光を支え,幕藩体制の基礎を確立した土井利勝は特に有名である(彼の時代に佐倉城の主要部分が築かれた).
 江戸時代中期以降太平の世の中になると,当初の防衛の意味は薄れたのか,延享三年(1746年)に堀田氏が入った後は国替えは行われなくなり,そのまま幕末に至る.幕末期に阿部正弘とともに老中として困難な政局にあたった堀田正睦は堀田家の佐倉藩主としては5代目となる.
 関東地方の多くの譜代大名の城と同様,佐倉城も壮麗な天守や高石垣などは築かれず,比較的地味な造りとなっている(天守台はあるが三階櫓が建っていたらしい).城は鹿島山の西の端,標高30メートルほどの台地先端に位置し,西から南にかけては鹿島川とその支流の高崎川が,北には印旛沼の湿地帯が広がる要害の城であった.明治維新後廃城となり,跡地には陸軍歩兵第75連隊が入り,そのの駐屯地となった.この時期に江戸時代の城門や櫓などの建造物はほとんど失われてしまった.戦後は佐倉城址公園として整備されており,園内に遺る堀や土塁などの遺構から当時の面影をしのぶことができる.
 (登城日 2008年8月16日)

佐倉城の土塁

本丸の土塁と天守台

姥が池です.昔乳母が若君を池のそばで遊ばせていて誤って溺れさせてしまったという伝説があります

堀です
 
 
佐倉城へのアクセス: JR佐倉駅または京成佐倉駅から徒歩20分程度です.バスもあります(JR佐倉駅発京成佐倉駅発).  

スタンプの設置場所 園内には歴史民俗博物館という立派な建物がありますが,スタンプの場所はここではなく,公園のはずれ佐倉中学校・佐倉東高校そばにある佐倉城址公園管理センターという地味な建物に置いてあります.


登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 結構広いですが散策には苦労しないと思います.


スタンプ
 


 

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